《周囲に刺激を与える“発光体ギャル”》97才の現役デザイナー・藤本ハルミさん、大阪・関西万博 で要人を迎えるアテンダントのドレスをデザイン「上方の伝統文化を世界の人に発信したい。愛郷心・愛国心です」
服作りの自信を失ったヨーロッパ旅行
藤本さんは、神戸で二代続く船乗りの家に生まれた。 「祖父、父とも外国土産に洋服を買ってきてくれることが多く、幼い頃からドレスは身近でした。子供のくせに出入りの洋裁屋さんの仮縫いに文句を言うもんだから、母から『学校を出たら洋裁学校に行って、自分の服は自分で縫いなさい』と言われたのが服作りの始まり」 神戸の洋裁学校を卒業後、18才のときに終戦。まだまだ学びたいと、東京・神田駿河台の文化学院に入学した。 「神戸の学校で服作りのいろいろがわかってきたら面白くなって、もっと勉強したいと思った。でも、キャリアウーマンになるなんて夢にも思わず、ふつうにお嫁に行くと思っていましたよ」 20才、文化学院美術部に在学中、父親が病に倒れ、神戸に戻ることに。 洋裁を教えて家計を支え、1954年「オートクチュール・マーガレット」を開店。技術とデザイン力の高さにたちまち人気店となった。転機は1960年代半ばに訪れる。全国の洋裁店オーナーとヨーロッパへ視察旅行に出かけたことがきっかけだ。 「パリで、フランス人と日本人の体格差にがく然としました。正面からだと変わらなくても、横から見ると、フランス人はメリハリがあり、日本人は顔も体ものっぺり。日本人に洋服は似合わないと、すっかり自信を失いました」
恩師に言われた「プライドを持てる服を作れ」
気落ちした藤本さんの心に火を付けたのは、人生の恩師ともいえる華道家で小原流三世家元、故・小原豊雲さんだった。 「意気消沈する私に家元は、『きみが国賓として欧州に招かれたときに、日本人としてのプライドを持てる服を作ればええ』とおっしゃったんです。 そこから、着物地や帯地を使ったドレスを作ろうと決心しました。 着物は日本人の薄い体をしっかりとした着物地で包み、帯でアクセントをつけることによって側面美を生み出している。理にかなっているんですよ。それをドレスに表現したいと思いました。 思えば、昔からウールの洋生地で羽織を作ったり、いいと思えば和でも洋でもこだわりはなかった。私、面白いものを作ってやろうという気持ちが強いの。既成概念を捨てなければ、新しいことはできへんわ」 知人から「こんな非日常の服、誰が着るの?」と陰で言われても、ブレることはなかった。 「“一枚も売れなくてもいい”と思っていたので、全然気になりませんでした」 そして1968年、41才のときに神戸で初のファッションショーを開くと、瞬く間に評判となる。その後、数々のオファーがあったものの、オートクチュールにこだわる藤本さんは商業的なショーには一切参加しなかった。
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