大江健三郎の「26年にわたる担当編集」が、たった一度「大江さんを本当に怒らせてしまった」意外な理由
3度の説得
担当歴が異例の20年間を超える頃、夢が芽生え、膨らみ始めました。自分の手でこの大作家の全集を編集できたら……。これら全小説の、複雑で深い森に地図を描いて見てみたい。全天に散らばる輝く星々たちを繋いだら、いったいどんな星座が見えてくるのだろう。 そこで大江さんに全集刊行を持ちかけるも、二度にわたって断られます。大江さんはいつも謙虚でいらっしゃり、かつ大げさなことがお嫌いだったので、自分はいまさら全集には値しないと思われたのではないかと思います。あるいは私の言葉に説得力と熱量が欠けていたのか……。 思い余った私は信頼する大江番の新聞記者に相談し、作戦会議を練りました。「大江作品の主人公たちは集団に適応できなかったり、引きこもったり、性的少数者だったりと、生き難さの中での魂の彷徨がテーマになっています。 当時も現代も若者の生き難さに変わりはありません。若い人が読むと、自分を取り巻く同じような状況がそこに読み取れます。そういう問題はまったく古びていないのではないでしょうか。ですからいま全集を出す意味があるんです」。こうして3度目の説得が奏功し、『大江健三郎全小説』刊行に向けての第一関門をクリアしました。 しかし今度は会社の首を縦に振らせなければなりません。個人全集を刊行するのは、1冊当たりの定価も高いし巻数が多いので、実は出版社にとって営業的に非常にハードルが高いのです。 会社が出した条件はひとつ。それはこれまで公に発表された大江さんの小説を全部収録する、ということでした。これはもとより私の目標でもありました。 しかし全部ということは、雑誌発表以来、テロが誘発されることを危惧して57年間書籍化されなかった「政治少年死す」をはじめ、大江さん自身が重版や単行本・全集収録にうしろ向きだった10編前後の短篇や、初期長編『夜よゆるやかに歩め』と『青年の汚名』の2編が含まれるということです。 「政治少年死す」の全集収録に関して恐る恐る提案する私に、大江さんは即OKを出してくれました。そればかりかとても喜んでいただけました。これまで書籍化されてこなかった短篇についてもなんとか押し切りました。しかし『夜よゆるやかに歩め』と『青年の汚名』に関してだけは、ある日はOKと仰るのですが、次に伺うとNGに戻っていて、結局収録にはご賛同いただけませんでした。大江さんはこの2作は不出来だと考えていらっしゃったようです。 『夜よゆるやかに歩め』は1959年刊。仏文科男子大学生と女優のラブストーリーで、女性誌に連載されました。とてもリリカルで美しい作品なので、胸に迫ります。一方『青年の汚名』は1960年刊で、北海道のニシン漁港の村が舞台です。歴史、経済、宗教、民俗学、セクシャリティなど多くの切り口から読み込める作品で、のちの代表作『万延元年のフットボール』の祖先にあたるような重要な作品です。 これら2作品も、そう遠くない将来、『大江健三郎全小説』全15巻の増補版補巻(1)として日の目を見ることを祈っています。 実はこの未収録作品に関しては忘れられないエピソードがあります。何回かのOKとNGのやり取りの後、私が最終的なOKをいただくため大江家を訪問して搔き口説いていた時のことです。私があんまりしつこいので、大江さんがプイっと2階の書斎に上がってしまわれたことがありました。担当26年間余で真の意味で大江さんを怒らせたのはその1回きりかと思います。思い出すだけでも背筋が凍る思いです。