ベーコンはどのようにポートレイトに挑戦したのか?「フランシス・ベーコン:人間存在」(ナショナル・ポートレイト・ギャラリー、ロンドン)レポート(文:伊藤結希)
フランシス・ベーコンのポートレイト写真
NPGのコレクションから、プロの写真家が撮影したベーコンのポートレイト写真が一堂に会する箸休めのセクションも。ベーコンが制作した肖像画のみならず、ベーコンが被写体となったポートレイトをもカバーできるのは、ポートレイトを専門とするこの美術館ならではといえよう。 そして、本展最大のみどころは最終展示室にある。自画像、3人の恋人(ピーター・レイシー、ジョージ・ダイア、ジョン・エドワーズ)、4人の友人(ルシアン・フロイド、イザベル・ローソーン、ミュリエル・ベルチャー、ヘンリエッタ・モラエス)が人物別に所狭しと展示される。 60~70年代の作品がメインでありながら、50年代後半以降の幅広い年代の作品が含まれており、ややトリッキーな構成になっている。 ベーコンにしては珍しい横位置の作品《眠る人物》は、当時の恋人ピーター・レイシーとタンジールで過ごした夏の記憶から制作されたもの。淡くムラのある背景と絵の具の物質感が強く残る裸体に、穏やかな表情で眠る姿が特徴的だ。 1963年にソーホーのゲイバーで出会ったジョージ・ダイア。ベーコンは生前もダイアの死後も、彼の肖像画を執拗に描き続けた。 なかでも、1971年のパリでベーコンの回顧展が開かれる2日前、ダイアがホテルの浴室で酒とドラッグの過剰摂取により死亡した事件を題材に、ベーコンがダイアの死と向き合った《トリプティック5月-6月 1973年》(1973)は、本展示の目玉ともいえる傑作だ。 ベーコンの晩年の恋人だったジョン・エドワーズ。キャリア後期に使い始めたエアゾールスプレーを用いた柔らかな肉体の表現と無機質で平坦な背景のコントラストは、ピーター・レイシーを描いた《眠る人物》と比較すれば、技術面での変化も一目瞭然である。 画家でベーコンの友人だったルシアン・フロイド。フロイドもまた、ベーコンと並ぶ戦後イギリスを代表する具象画家であるが、そのアプローチの仕方は正反対だった。フロイドは生身のモデルの人間を元に制作を進めたが、この頃のベーコンはすでに写真から絵画を発展させる方法に完全に切り替えていた。 ベーコンが実際の絵画制作で参照したモデルたちのポートレイト写真も合わせて展示されており、実際の肖像画と見比べることができる。 同じく、画家でベーコンの友人だったイザベル・ローソーン。数年前にまとまった研究書が初めて出版され、彼女の芸術家としての認知度も高まってきている。ここでは、ベーコンがしばしば用いたトリプティック形式ではなく、あえてひとつの画面に3人のローソーンを描かれたイレギュラーな肖像画を見ることができる。 ミュリエル・ベルチャーは、ベーコンを含む多くの芸術家が足繁く通っていたソーホーの会員制クラブのオーナー。同性愛が法的に禁止されていた当時のイギリスにおいて、レズビアンとしてクィアでボヘミアンな環境を提供した立役者でもある。 1940年代後半にソーホーで出会ったヘンリエッタ・モラエス。ベーコンは、プロの写真家に撮影してもらったベッドに横たわるモラエスのヌード写真をもとに、何枚もの作品を描いた。ヌードといえば男性ヌードが大半を占めるベーコンのキャリアにおいて、《ヘンリエッタ・モラエス》(1966)のように女性ヌードがポルノ的なポーズでエロティックに描かれていることは一考に値するだろう。 ベーコンが足繁く通い、彼ら彼女らと実際に出会ったソーホーからほど近いNPGで世界中の美術館や個人蔵のコレクションから集められたベーコンの作品を見れるのは、なかなか粋な鑑賞体験であことは間違いない。
Yuki Ito