ベーコンはどのようにポートレイトに挑戦したのか?「フランシス・ベーコン:人間存在」(ナショナル・ポートレイト・ギャラリー、ロンドン)レポート(文:伊藤結希)
外見を超えて
1950年代初頭からベーコンは、匿名性の高い人物像と並行して友人や恋人など、より身近な人物をモデルに肖像画を描くようになる。 キャンバスの裏地を大胆に残した《風景の中の人物の習作》は、草が生い茂る広大な大地の中央で両膝を抱えて小さく座り込んでいる男性を描いている。この人物は当時のベーコンの恋人のピーター・レイシーがモデルになっていると言われているが、ここでは識別可能な顔を描くという肖像画の暗黙の了解を破り、外見だけでない何かをとらえようとするベーコンの試行錯誤が始まっていることが窺える。 伝統的な肖像画は室内を背景に描かれるものも多いが、ベーコンは「家庭的な雰囲気」を嫌い、きまって曖昧な環境に孤立する人物を描いた。ベーコンのパトロンであったリサ・セインズベリーの肖像は、この時期の典型的なスタイルだといえるだろう。暗闇から浮かび上がるリサは亡霊のように描かれ、具体的な背景を持たない。耳や髪など一部のパーツは抽象的でありながら、顔つきや雰囲気などをうまく掴んでいる。 彼女はベーコンにとって初めての女性モデルであるが、1959年以降モデルを目の前に絵を描くことはほとんどなくなる。ベーコンは、スタジオでモデルに座ってもらう旧来的な方法に加え、写真を用いて知人の肖像画を制作する方法を模索していた。
インスピレーションと模倣
続く、1950年代後半~60年代前半のセクションでは、ディエゴ・ベラスケスやフィンセント・ファン・ゴッホなど、巨匠が残した肖像画の大型のオマージュ作品が並ぶ。 ベーコンはベラスケスによる《教皇インノケンティウス10世の肖像》(1649~50)に夢中になって繰り返し描き続けていたことで有名だが、驚くべきことにベーコンが参照していたのはモノクロの図版で、実物を見に行くことは一度もなかった。 戦時中に消失したヴァン・ゴッホの《タラスコンへの道を行く画家》(1888)もまた、ベーコンが熱心に参照した絵画だ。青と黒で覆われた50年代から一変して、三原色を用いたカラフルな色彩と荒々しく絵具の物質性を強調した筆致は、明らかに技術的な過渡期を示している。 ヴァン・ゴッホシリーズ6枚の連作のうち、以下の2枚が展示された。