僕の青春時代、アメリカ車はまさに「ドリームカー」だった!
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 戦後すぐ、都内に住んでいた少年時代の筆者は道行くアメリカ車に心を奪われ、以来、「ドリームカー」と崇めることに。そんな筆者が初めて自分のものにしたアメリカ車はなんと当時の映画スターが所有する車だったのです。
50's~60's、、黄金期のアメリカ車!
第二次大戦が終わった1945年、僕は5歳。いろいろなことがなんとなくわかり始めた年頃だったが、いい思い出はほとんどない。 父親が満州鉄道の仕事をしていた関係で大連に家があり、東京小石川の家と行き来しながらの生活だったが、終戦時は大連にいた。 8月に終戦を迎え、日本に帰国できたのは翌1946年1月。だから、帰国は早かった方だったのだろう。、、でも、帰国時の悲惨なあれこれは、幼心にも強く焼き付いている。 小石川(文京区)の家は空襲で完全に焼かれ、財産もほとんど失った。でも、都営住宅の抽選に当たったのは幸いだった。
都営住宅は足立区にあり、国道4号線に面していた。遊ぶところも、遊ぶものもなにもなかった。そんな状況で、国道4号線を走るクルマを見るのは大きな楽しみだった。 トラック、バス、オート3輪は元より、馬車、牛車、大八車、、、今はもう博物館でしか見られないあれこれが、終戦後の人々の生活を支えていた。 そうした中で、アメリカを中心にした戦勝国関係の乗用車がときたま通り過ぎたが、当然目を奪われた。 初めのうちは、形も色も地味なクルマがほとんど。終戦直後でもあり、公用車が多かったからだろう。しかし、時が経つにつれて、形も色も華やかなクルマが増えていった。 とくに1950年代に入る頃からのアメリカ車は急速に華やかさと贅沢さを増していった。 大きくカラフルで、クロームメッキを多用したモデルが競うように増えていった。コンバーチブルやハードトップも次々ラインナップに加わり、エンジンの大排気量化も加速。