引退決断の佐藤寿人が携帯を手に1時間泣いた日
スパイクを脱ぐ決意を家族以外に初めて伝えたのは、別々の道を歩み始めて4年が過ぎたいまでも、異能のストライカーをして「ベストパートナー」と言わしめる名パサーだった。 今シーズン限りで21年間におよんだプロのキャリアに別れを告げた、Jリーグ最多得点記録保持者のFW佐藤寿人(38)が26日、オンライン形式で行われた引退会見に登壇。サンフレッチェ広島時代に数え切れないほどのホットラインを開通させ、自身のゴールをアシストした4歳年下の盟友、MF青山敏弘との間で紡がれていた秘話を明かしながら思わず涙ぐんだ。 20年前にJリーガーとしてデビューした古巣であり、延べ6つ目にして最後の所属チームにもなったジェフユナイテッド千葉のクラブハウス内に設けられた会見場。濃紺のスーツ姿で登場した佐藤はJ1リーグで歴代2位の通算161ゴールに、J2リーグでの同59ゴールを加えた「220」がJリーグ歴代1位にランクされる輝かしい軌跡を、笑顔を浮かべながら「仲間に恵まれました」と振り返った。 「プロのキャリアをスタートさせたときにはここまで長くプレーできることも、たくさんのゴールをあげられるとも思っていませんでした。移籍というそれぞれの決断がたくさんの学びを与えてくれて、たくさんの素晴らしい出会いも作ってくれたからこそ、こういう数字を生み出せたと思っています」 その上で「最高のパサーを選ぶとしたら」と問われた佐藤は、広島ひと筋で17年プレーするボランチの名前を迷わずにあげた。「ベストパートナーは青山敏弘選手以外には考えられません」と。 セレッソ大阪からベガルタ仙台をへて、2005年に広島へ加入した佐藤と青山が初めて同じリーグ戦のピッチに立ったのが翌年7月19日。この日は作陽高から加入して3年目の青山のJ1デビュー戦であり、その後7度目の共演となった8月30日のジュビロ磐田戦で、青山が佐藤のゴールを初めてアシストした。 公式記録にカウントされないアシストには明確な定義がない。ただ、Jリーグが発行する公式記録内の得点経過を調べていくと、J2を戦った2008シーズンを含めて佐藤が12年間所属した広島時代にリーグ戦であげた178ゴールのうち、青山は断トツの数字となる「36」をアシストしている。