安田大サーカス・団長安田「阪神・淡路大震災で、親友がいる崩壊したビルに声をかけ続けて。友を亡くして、僕は芸人になった」
◆死ぬことに比べたら平気やんけ 僕が芸人になったのは、震災を経験したからです。芸人になりたいという夢はあったものの、売れなかったら恥ずかしいと思って、なかなか一歩を踏み出せなかった。 だけど、亡くなった恵介の顔を思い出すたびに、「死ぬことに比べたら、ぜんぜん平気やんけ」と思えてきて。人生、いつ何があるかわからんから、やりたいことがあるなら早くやらなきゃと、震災があった年の7月に松竹芸能養成所の試験を受けたんです。 おかげさまで、今、こうして芸能界で仕事をさせてもらえるようになりました。でも、阪神・淡路大震災で経験したことは人前ではずっと話せず、ニュースの映像すら見られないままでした。人を笑顔にするのがお笑い芸人やのに、悲しい話はどうなのかと思ったし、記憶がよみがえるのもつらくて。 転機になったのは、2011年3月に起きた東日本大震災です。あの日、僕は都内の公園でロケをしていて、その最中に大きな揺れがやってきました。揺れが収まった後、その公園に近所のビルからサラリーマンたちがわらわらと押し寄せてきて、これはただごとじゃないと、急いで家に帰ったんですよ。趣味のロードバイクで現場に来ていたのが幸いでした。 大変な被害を受けている被災地の様子を見て、先輩芸人に「今こそ、おまえの経験を伝えておいたほうがいいんじゃないか」と言われたんです。少しでも被災した人たちの助けになればという思いで、自分の体験をブログに綴ることにしました。 もう1つのきっかけは、あるお坊さんに言われた言葉です。「人間には2つの死がある。1つは肉体の命が絶たれたとき。もう1つはその人の名前が忘れられたときだ」と。 だったら、僕はあの震災で犠牲になった人たちの話を伝えなきゃいけないんじゃないか。テレビに出てご飯を食べられるようになったのも、「あのときの語り部になれ」と、亡くなった人たちが背中を押してくれているような気がして、防災に関する講演も行うようになりました。
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