なぜ織田記念の男子100mで山縣亮太が復活Vを果たせたのか…東京五輪代表争いが激化へ
東京五輪の開幕まで3カ月を切って、奈落の底に突き落とされた男が帰ってきた。広島の広島広域公園陸上競技場 (エディオンスタジアム広島) で29日に行われた織田記念陸上。山縣亮太(28、セイコー)が、桐生祥秀(25、日本生命)、小池祐貴(25、住友電工)、多田修平(24、住友電工)らを抑えて、注目の男子100mを制したのだ。 山縣は雨の予選から素晴らしかった。3組に出場すると、序盤からリードを奪って、小池に先着。予選トップの10秒29(+1.0)で悠々と通過した。 薄日が差した決勝。地元の温かい声援を受けた山縣は、全盛期の頃のようなシャープな飛び出しを見せると、終盤もライバルたちを寄せつけない。10秒14(+0.1)という優勝タイムは少し期待外れだったが、強力なライバルたちを相手に完勝レースを披露した。 「地元のレースで勝ててホッとしています。今日はカラダが軽くて、背中を押してもらっている気持ちでした。予選・決勝と2本走って、自分の思っている結果に近いものだったので安心しています。この2年は不調もありましたし、地元・広島のレースで優勝できたことは凄くうれしいです」 レース後のインタビューで久しぶりに笑顔を見せた山縣は、2012年のロンドン五輪と2016年のリオ五輪で準決勝に進出するなど、日本のスプリント界を引っ張る存在だった。特に2016年からの3年間は充実していた。2016年に10秒03と10秒05、2017年に10秒00。2018年には10秒00、10秒01、10秒05をマーク。高いレベルで安定したパフォーマンスを発揮して、9秒台は目前といえる状況だった。しかし、そこからの2年間は苦しいときを過ごした。 2019年は6月の日本選手権直前に肺気胸を発症して、11月には右足首靱帯を負傷。2020年も右膝蓋腱炎で10月の日本選手権を欠場した。低迷した2年間で6学年下のサニブラウン・アブデル・ハキーム(22、タンブルウィードTC)と慶大の後輩・小池が9秒台に突入。山縣のプライドはズタズタにされた。 今季は3月に行われた宮崎のレースで冷雨のなかを10秒36(-0.1)で走ったが、”不安”を払拭することはできなかったという。 度重なるケガもあり、練習時に全力を出すことを躊躇していた部分もあった。そのため、この1カ月は、「とにかくスピードを出し切る」ことを意識した。