正露丸と百草丸、ふたつの丸薬とふたつの氷瀑のこと|Study to be quiet #16
正露丸と百草丸、ふたつの丸薬とふたつの氷瀑のこと|Study to be quiet #16
このまま気候変動が進めば近い将来、本州ではアイスクライミングなどできなくなる。 「昔は登れたんだけどなあ」 過去を語る老人に、すでに私たちはなろうとしている。氷も記憶も、春が来ればすべて萌黄に溶ける。 おそらく次に凍るころには私はそこにはいない。もう登れないだろう氷、しかし、たしかに登ったはずの氷の追憶。 。 文◉成田賢二 写真◉洞 将太、マウンテンワークス。
百草丸、あるはずない氷瀑がそこにあったこと、たぶん今世紀最後
米子不動にある「正露丸」はクライマーの間ではよく知られている。最上段から取り付きまで一直線の傾斜で落ちる、端正な二等辺三角錐の形状をした氷瀑である。 なぜ「正露丸」と呼ばれるようになったかは、初めてこの氷瀑を完登したクライマーが名づけたことによる。登攀前夜、この氷瀑を登ることを想像しただけで胃が痛くなったということから来るらしい。 「正露丸」といえば私は米子不動の氷瀑をすぐに連想するのだが、一般的にはおそらくそうではない。製薬会社の著名なコマーシャルとともにラッパのマークのパッケージを持った胃腸薬のことを指す。もしかしたら若い世代はそのコマーシャルも知らないかもしれない。 「正露丸」は古くは「征露丸」であった。日清戦争において初めて大陸の地で会戦を行なった帝国陸軍は、国内とは異なる不衛生な水源に悩まされた。その後「征露丸」は軍医により生み出され、日露戦争中にチフス菌に対する抑制作用が認められて奉天会戦前後で陸軍に正式採用された。戦後は勝利への祝賀もあって広く国民薬として普及していった。現在の「正露丸」は曲折を経て普通名称化しており、複数の会社から同名の薬が販売されている。 米子不動の話に戻る。正露丸の50mほど右手には別の氷瀑がつねに見えており、この氷瀑はなぜか最下段まで繋がっていたことがない。最上段には完全に垂直な氷瀑を傲然と聳え立たせており、水が硫黄成分を纏っているのか蒼い氷がやや黄色がかって見える。正露丸を末広がりの堂々たる体躯と表現するならば、こちらは尻すぼみの一反木綿と表現するのがしっくりくる。この氷瀑が最下段まで繋がることがない理由はいくつかある。 ひとつは滝の落ち口が幅広なスラブ状になっており、「正露丸」のように流芯が細く定まっていないことである。さらに中段に顕著なオーバーハングが存在するため、ここでも流れが空間に放たれて氷結の筋になりにくい。もうひとつはこの氷瀑の面と露出にある。「正露丸」が深い溝に食い込んで真北を向いているのに対し、すぐ横にあるこの氷瀑は露出感のあるフェースがわずかに(おそらく10度ほど)正露丸より東を向いているために、残念ながら朝日が当たる。2月の初旬ともなれば晴天の朝の1時間ほどはその全身が燦々と朝日に照らされてしまうのである。自然の摂理とはいえ、この根子岳の山体崩壊における岩壁形成のほんの僅かな違いにより不遇の定めを受けた氷といえる。 その怪しいはずの氷瀑は2010年に初めて登られた。私などは同じような時期にこの氷を眺めてはいたはずだが、そもそも登攀の対象とすら捉えていなかったと思う。初登者は氷が存在しない最初のセクションを、氷とは関係ない10mほど離れた右のクラックラインから登った。そのときの記録によると、薄氷の張りつめたクラックを避けて、傾斜の強い乾いたクラックを素手になってハンドジャムで登ったというくだりがある。そして「手は冷えるが心は熱い」との言葉を残した。おそらくこの氷を登るためには横のクラックを登ればいいという発想は複数のクライマーが抱いたかもしれないが、実際にこの場所に岩登りのギアを持ち込んで素手になってそれを行なったことに価値がある。それまでの米子不動で行なわれたアイスクライミングとは一線を画した登攀だったというほかない。 彼らがこの氷につけた名前は「百草丸」。御嶽山麓で江戸時代より伝わる生薬のみを原材料とした健胃薬である。無論、正露丸への韻を踏んだものであるが、その丸薬の由来とクライミングの実感が誠によく調和しており、的を得たネーミングといえるだろう。 米子不動に入るには長い林道をアプローチする必要があるが、この林道は生活道路ではないので基本的に除雪はされない。私たちはこの林道にチェーンを巻いた四輪駆動車で無理をして突っ込んだものだが、毎回スタックするのがつねだった。今回も直前に降った大雪にスタックした車を置き捨てて、重たいギアと幕営具を背負って九十九折りに続く林道を歩き始めた。 いつものテント場に幕営荷物を置いて、登るべき氷を物色しつつ岩壁下をラッセルしながらトラバースしてゆく。最奥部に近い正露丸らしき氷瀑に近づいてみると、随分と細い氷瀑に出合った。 私「あれ、正露丸、今年はこんな細いのか? 」。 K「いやいや、これは百草丸ですね、あっちの半分だけ見えてるのが正露丸ですよ。参りましたねえ、これは正露丸なんて登ってる場合ではないですねえ……」。 私「これ百草丸か! そうか、これが出だしのクラックか」。 K「いやいや、氷が繋がってるじゃないですか。正露丸なんてのはいつでも登れます」。 私「これ! 登る! 登っちゃう? 」。 ふたりして口を開けて上を見上げる。目上げれば自然と口が開くほどに傾斜が強い。 出だしの切れ切れの氷はなんとかうまくこなせそうには見える。しかし2段目は胸元でふたりの人間が両手を回せば抱えられるくらいの太さで岩に張り付いた飛沫の塊に接している。手元には氷登りのギアはあるが、岩を登るためのギアはない。 私「どうしよう? 上はなんとかするけど、中段はどう見ても厳しいよなあ。もし君がやるならビレイはするが、あんまりプロテクションは取れんぞな」。 K「いやいやこんなことは滅多にないことですから、登らないという選択肢はないでしょう」。 私「しかしどう見てもツララが集まってるだけでちゃんとした氷じゃないけれど」。 K「いままで氷で落ちたことはないので、確率からいえば今日も落ちることはないと思いますよ。持久力には自信があります」。 私「いや君が落ちなくても氷が落ちたらどうすんの」。 K「なんかところどころで壁と接してますから大丈夫なんじゃないですか。そこそこ冷えてますから、少なくとも今日の気温で落ちることはないと思います」。 私「しかし相当登らないと敗退もできなさそう、まあお気をつけて。はいスクリュー、全部持ってけ」。 K「要らんです、ろくなプロテクションは取れないですから軽くしたい、ある分で足ります。では行ってきまーす」。 Kは最下段の飛沫が作ったクラゲの集まりのような氷を優しくアックスを引っ掛けて登りはじめる。私はKをビレイしようにも、確固たるプロテクションがほとんど取れないこの状況ではビレイの意味がなく、ただ漫然とロープを持っているだけである。2段目の核心となる氷柱が壁と接したハング下、僅かのテラスにやっとKはスクリューを埋め、同時にピッチを切った。そこから15mほどは垂直からややハングしたツララの集合体である。研ぎ澄ました集中力で、Kは再びほとんど信用に足るプロテクションは取れずにすぐに視界から消えた。私がハングの真下にいるため、氷を叩く音と大量の落氷が眼前を通りすぎるのみでクライマーのようすは一向にわからない。 ビレイ解除の声が聞こえ、恐る恐るフォローしてみると、いずれも全く信用ならぬ隙間だらけの氷であり、しかも水流をもろに受ける。じっとしていればずぶ濡れになるばかりなのでKはプロテクションがないことも忘れたかの如くにサッサと登ったらしい。いくぶんは太くなった氷のピラーを、帯状の氷のハングを左右に縫いながら弱点を得ていく。これは自分がリードであったら迷うことなく登り切れただろうかと自問しながらフォローする。 雪や氷を登るにおいて、果たしてこれは登って良い状況なのかどうかを悩むことは、私にはしばしばある。「迷ったら不可」、長く雪山を続けるにあたりこれを守りつづければ幸福で平凡な日々を貫いていけるだろう。しかしKには私より数段深く、「迷い」に対する客観的な見極めができているらしい。 「迷ってるということは可能性があるってことですよね? やってみればいいんですよ。迷いの正体に迫って可能性を見つけなきゃ成長はないですね」。 ときおりKが私につながるロープを鋭く引く、彼の意志の如くに。 Kは最終ピッチの真に垂直な、あるいはところどころ垂直以上にも見える一反木綿の付け根で、フォローする私を迎え入れた。お膳立ては整ってしまった。どうにも私がこの最後のピッチをリードせざるを得ない。唾を飲み込んで上を見上げる。首が痛い。 「正味ぶったってんな……」。