「笑い話にできない話はするな」 西田敏行さんが遺した名言を盟友・武田鉄矢が明かす 「彼の演技には狂気が潜んでいた」
2024年、私たちは数少ない国民的名優の一人を失った。西田敏行さん、享年76。あの圧倒的な存在感はいかにして培われ、西田さんの演技はなぜ人を引きつけてやまなかったのか――。46年間、公私にわたって交流を深めた親友の武田鉄矢(75)が全てを語る。 【写真特集】貴重な撮影現場のオフショットも…西田さんが最後まで憧れた、若かりし渥美清の貴重な写真11枚 ***
私が西田さんの演技を見て、「この新人役者、すごいな」と驚いたのは、「いごこち満点」(1976年)というドラマでした。 西田さんは司法試験を受験する大学生の役で、森繁久彌さん扮するペテン師に記憶力が良くなるドロップを売りつけられるんです。まんまと買って、それをなめた瞬間の西田さんの芝居がすごかった。ベートーベンの「第九」だったか、とにかくでたらめなドイツ語で朗々と歌い始めるんですね。 それが西田さんのアドリブだというのは画面を見ていたら分かるわけ。あの森繁さんが呆然とされていたので。でもさすがの森繁さん、「キミ、面白いね」と言って、西田さんを“はたき込み”で仕留めていましたが、大俳優を前にして一歩も引かない、その食い下がり方に圧倒されました。
「生まれる前は兄弟だったんじゃないか」
そんな一目も二目も置いていた西田さんに、初めて会ったのは、2年後の78年、「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」というバラエティー番組でした。 二人でコントをやったんです。それぞれ故郷の放送局のアナウンサーという設定で、ローカルニュースを読む。西田さんは福島、私は福岡。決めごとはそれだけで、あとは二人のアドリブ。カットがかかるまで延々と応酬するんだけど、西田さんは私が何を言ってもバンバン跳ね返してくる。すごく面白がってくれましてね。以来、仲良くなったんです。 西田さん、著書『役者人生、泣き笑い』の中で、そのときの印象を「アイツとは生まれる前は兄弟だったんじゃないかと思えるほど気持ちが通じ合う」と書いてくださっているけど、ほんとうにそんな感じでした。 西田さんは当時、さっき言った「いごこち満点」や「特捜最前線」といったドラマで存在感を見せ始めて、私は「みごろ!」の前年に映画「幸福の黄色いハンカチ」で役者としても少しは知られるようになっていた。