『リプリー』自身を重ねたアンソニー・ミンゲラ監督が描く、愛の喪失と痛み ※注!ネタバレ含みます
※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。 『リプリー』あらすじ 1958年、ニューヨーク。貧しい青年トム・リプリーは、ピアノ弾きの代役として訪れたパーティで知りあった富豪からヨーロッパで恋人と遊び呆けている息子ディッキーを連れ戻してほしいと頼まれる。さっそくイタリアに飛び、大学時代の友人と身分を偽ってディッキーに近づいたリプリーだったが、太陽のように明るく、魅力的なディッキーに次第に惹かれていく…。
パトリシア・ハイスミスの名作の映画化
アメリカの女流作家、パトリシア・ハイスミスが、小説「The Talented Mr.Ripley(才能あるリプリー氏)」を発表したのは1955年のこと。ニューヨークで底辺の生活を送っていた主人公トム・リプリーがイタリアに渡り、そこで自由に暮らす富豪の息子、ディッキーに魅了され、やがては彼を殺害して、彼になりすます。そんな意表をつく物語が展開する。 既成のモラルに反するサイコパス的な犯罪者が主人公だが、なぜか、読者は彼を応援したくなる。思えば1950年代はアメリカの文化の転換点だった。56年に「ハートブレイク・ホテル」でエルヴィス・プレスリーが登場してロックンロールという新しい音楽を広め、『理由なき反抗』(55)や『エデンの東』(55)のジェームズ・ディーンがハリウッドの反逆児として脚光を浴びた。それまでの保守的な価値観を変えるアイコン的な人物たちが生まれた時代でもある。 そんな時代背景を考えると、トム・リプリーという犯罪者もまた、新しい時代の反逆児と考えることができるのかもしれない。 この小説はこれまで何度か映像化されている。60年のルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』、99年のアンソニー・ミンゲラ監督の『リプリー』、2024年のネットフリックス製作で、スティーヴン・ザイリアン監督の『リプリー』(8話)といった作品だ。 配信版を撮ったザイリアンは“Daily Beast”(2024年4月6日)のインタビューの中でこう答えている――「すばらしいキャラクターとストーリーで、何度でも語ることのできる内容だと思う。他人になりすます、という設定はいつの時代でも起こりうる。そして、そんな物語に私たちは惹かれてしまう」。 近年はハイスミスという作家の再評価も進んでいる。彼女の生涯を追った興味深いドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』(23)も作られ、同性愛者だった彼女の知られざる私生活も明かされた。また、別名義で発表された小説「キャロル」はトッド・ヘインズ監督の手で映画化され、LGBTQの先駆的な作家としても再注目された。 そんな中でも彼女の初期の代表作「才能あるリプリー氏」は作り手の個性が出せる映像向きの題材。クレマンの『太陽がいっぱい』はアラン・ドロンという稀有なフランスの大スターを生み出したが、次に作られたアンソニー・ミンゲラ版(マット・デイモン主演)はどういう視点で作られているのだろう? この監督は、前作『イングリッシュ・ペイシェント』(96)ではアカデミー作品賞や監督賞も受賞していて、『リプリー』ではオスカーの脚色賞候補に上がった。いくつかのポイントで90年代の『リプリー』の解釈について考えてみたい。