『リプリー』自身を重ねたアンソニー・ミンゲラ監督が描く、愛の喪失と痛み ※注!ネタバレ含みます
愛の喪失と痛みにこだわるラブストーリーの監督
実はこの映画は過去を振り返る物語として組み立てられている。この点が原作や他のふたつの映像化作品との大きな違いだ。最初のタイトルバックにはリプリーの顔が登場するが、それはこの映画の最後のショットだ(船室に放心状態となった主人公がいる)。 冒頭、彼はつぶやく――「あの頃に戻れたら、これまでのすべてを消すことができたら……」。そして、彼は喪失と愛の痛みの物語をふり返る。 『イングリッシュ・ペイシェント』や後の『コールド・マウンテン』といった代表作で語られるのもまた、痛みを伴う愛の物語だった。前者では戦時中に恋に落ちた人妻との悲痛な体験が回想形式で描かれ、後者では戦時中に離ればなれになった恋人たちの劇的な再会までの道のりがたどられる。その愛の向こう側に死の影がつきまとう点も『リプリー』との共通点だ。 彼のそんなメロドラマ的な嗜好性は『リプリー』にも出ていて、この映画の人物たちもいつも愛に裏切られる。リプリーはディッキーへの恋愛感情を拒絶され、彼を殺害する。プレイボーイのディッキーには恋人マージがいるが、実は彼にはイタリア人の秘められた恋人もいて、彼女はやがては命を絶つ。マージもまた、ディッキーの気まぐれな愛に翻弄されている。令嬢のメレディスは(ディッキーのふりをする)リプリーに恋心を抱くが、その恋にもカゲがつきまとう。そして、ピーターとリプリー。相思相愛の関係になりつつあったが、結局は悲劇的な結末を迎える。この映画の人物たちは、誰もが“報われない愛”を抱えている。 後半のリプリー、メレディス、ピーターとのもつれた関係は、原作になく、完全に監督独自の解釈になっている(監督は令嬢のメレディス役を演じるケイト・ブランシェットの才能にほれ込み、出番を増やしてしまったという)。 ピーターは原作にもわずかに登場。「ピーターというのは正直で、疑うことを知らなくて、ナイーブで、思いやりのあるおもしろい男だった」と原作には書かれている(前述の原作より)。彼はディッキーの友人のひとりで、リプリーをアイルランドにある彼の自宅に誘う。ただ、リプリーは「ディッキーとのやや特殊な関係のことが(中略)心をよぎった。ピーターとも同じことが起こりうるのだと思った」(原作より)。 そこで原作のリプリーは彼との関係を深めないが、映画版のリプリーは彼との距離を縮める。やがてリプリーは彼の優しい愛の言葉を聞きながら、おそろしい決断を下す。愛と死は隣り合わせ。そんなミンゲラ好みのクライマックスが、なんともやりきれない印象を残す。 『リプリー』はサスペンス映画として作られているが、この映画の心理的なサスペンスは実は恋愛感情のすれ違いからも生まれていて、そこにラブストーリーを得意としていた監督の個性が見える。