『リプリー』自身を重ねたアンソニー・ミンゲラ監督が描く、愛の喪失と痛み ※注!ネタバレ含みます
キャラクターの心理を託したジャズやクラシックの音楽
ミンゲラが自身でも認めているように『リプリー』では音楽が大きな意味を持っている。ガブリエル・ヤレドが作曲したオリジナル音楽もすばらしく、アカデミー作曲賞候補になっているが、オリジナル曲と既成曲のバランスがすごくいい。 冒頭のニューヨークの場面、リプリーがある集まりでピアノの伴奏をしているが、その時、歌われているのはヤレドのオリジナル曲「ララバイ・フォー・カイン」(ミンゲラ自身が作詞、サントラ盤のボーカルはシニード・オコナー)。カインとは神話に出てくる兄弟、カインとアベルの兄のこと。彼は主への贈り物をめぐって弟に嫉妬心持ち、彼を殺してしまう。罪を犯したカイン像がこの映画のリプリーに託される。 劇中ではリプリーとディッキーに兄弟がいないことが語られ、リプリーは「君は僕にはいなかった兄弟のような存在だ」とディッキーに告げる場面がある。しかし、リプリーはやがては憧れのディッキーを殺害する。そんな哀れなカイン=リプリーへの子守歌が冒頭から流れる。 そして、リプリーがコンサート会場のピアノで弾くのはバッハの「イタリア協奏曲」。彼はホールのアルバイトだが、こっそりピアノの前にすわって演奏する。明るくはずむようなリズムが印象的で、そこには彼が後に訪問することになるイタリアのイメージが託される。イタリアに渡った後は、豪華な部屋のグランド・ピアノでこの曲を弾く場面があり、胸はずむ日々への思いが託される。 彼が令嬢メレディスとオペラに行く場面があるが、そこで上演されているのはチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」。ふたりの男性の決闘場面が描かれる。主人公オネーギンはある時、決闘によって親友のレンスキーを死なせ、そのことを嘆き悲しむ。そんなふたりの関係にリプリーは自分とディッキーの関係を重ねながら見ていて、思わず涙を流してしまう。 リプリー自身はクラシックの愛好家だが、ディッキーが好きだったのはジャズ。原作のディッキーは絵を勉強しているが、映画ではジャズのサックスを吹いている。監督のミンゲラは50年代に頂点を迎えていたジャズを映画の背景として効果的に使っている。 そんなディッキーの気をひくため、リプリーはジャズを必死に勉強するが、そんな中でも特に耳に残るのがチェット・ベイカーの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。その歌声を聴いて、「これは男なのか、女なのか」とリプリーはつぶやく。もともとはトランぺッターとして有名になったチェットの歌声は中性的で、当時はそれゆえのインパクトもあった。 トム・リプリーの性的な傾向もどこかあいまいで、男女ともに気をひこうとする。原作のリプリーは「(自分が)男が好きなのか、女が好きなのか、はっきりしないんだよ」(「リプリー」河出文庫刊、佐宗鈴夫訳)と語る箇所もあるので、そんな彼の性の嗜好性がこの曲には託される。マット・デイモンがチェット風の気弱な声でこの曲をクラブで歌う場面も用意される。また、英国のトランぺッター、ガイ・バーカーと彼のクインテットが、マットやジュードと一緒に舞台に立ち、「アメリカ人になりたい」を歌う楽しい場面も印象的だ。 リプリーとディッキーが浴室でチェスをする場面で流れるのが、マイルス・デイヴィスの「ネイチャー・ボーイ」。ここではインストルメンタルだけだが、実は歌詞がついたバージョンもあり、「彼は海の向こうをさまよっている。シャイで、悲しい目で、賢い。彼はそんな奇妙な少年で、誰かを愛し愛されることを望んでいる」という歌詞で、その内容はこの映画のトムの心模様を映し出している。 さらにこの映画のテーマを集約しているのが、「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」というスタンダート・ナンバー。ディッキーのひそかな恋人で、彼の子供を妊娠していたイタリア人のシルヴァーナは海に身をなげるが、それを知ったディッキーは悲しみをこらえながらこの曲をサックスで吹く。 また、ディッキーの父親が息子の死後、リプリーやマージと会う場面では、ストリート・ミュージシャンがこの曲をサックスで吹いている。さらにボーカル版がエンドクレジットで流れる。ミンゲラのお気に入りでもある英国のベテラン・ミュージシャン、ジョン・マーティンが独特のかすれた声で、切なく、渋い歌声を聞かせる。「君には愛の意味が分かっていない。その悲しみを知るまでは……」という内容の歌詞で、恋のホロ苦い思いが伝わる。クラシックやジャズの有名曲が次々に登場して、セリフ以上に人物たちの心理が語られていく。 クラシック好きだったリプリーはディッキーとの出会いで、ジャズを知る。楽譜通りに弾くことが重要なクラシックとは異なり、ジャズは即興が命。そんな自由な音楽にふれることでリプリーの精神も解放されていく。「物語の展開と共にリプリーは本物の即興プレイヤーになっていく」と監督はサントラのライナーに書いているが、クラシックとジャズを融合させることで、『リプリー』には音楽映画としても聴かせる。