『リプリー』自身を重ねたアンソニー・ミンゲラ監督が描く、愛の喪失と痛み ※注!ネタバレ含みます
ミュージシャンだったミンゲラ自身を重ねたトム・リプリー像
ミンゲラは2008年に54歳の若さで他界したが、筆者は生前、彼に取材する機会があった。『リプリー』の次作『コールド・マウンテン』(03)のキャンペーンで来日した時だ。「あなたの『リプリー』がとても好きで、サントラ盤も愛聴しています」と言ったら、すごく喜んでくれて、「実は僕自身のすごくパーソナルな部分を託した作品なんだよ。音楽は私にとって、すごく重要な要素で、まずは音楽から作品を考えることも多い」と答えていた。 この映画のサントラ盤に監督自身はこんなエッセイを残している――「音楽は『リプリー』の中心的な存在だ。50年代に書かれたパトリシア・ハイスミスの原作は驚きに満ち、深い部分で人を困惑させる魅力があるが、原作で描かれた絵画のモチーフではなく、音楽こそが、この時代の挑発的な雰囲気をより実感させるものに思えた」 そこで人物たちの自由を代弁する音楽として、この時代の新しい文化の象徴でもあるジャズを中心にすえた。原作のリプリーはケチな税金詐欺で暮らしているが、映画の中の彼はクラシックを愛好する売れないピアニスト。コンサートホールでアルバイトをしながら暗い地下室で不遇な日々を送っている。 しかし、プリンストン大学のジャケットを知人に借りたことがきっかけで運が開け、イタリアに行くことになる。 こんな人物設定に関してミンゲラは、アメリカのラジオ界の伝説的なDJのひとり、テリー・グロスの番組“Flesh Air”(99年12月22日)に出演してこんなコメントもしていた。「僕自身は英国でイタリア系移民の子供として育った。英国で暮らすと、どうしても階級の問題を意識させられてしまう」 そんな彼は下の階層という設定のリプリーに感情移入したようだ。映画の中のリプリーは売れないピアニストだが、若い頃のミンゲラはバンドのキーボード担当で、ミュージシャンとしての成功をめざしていたので、ピアニストのリプリーにはミンゲラ自身が投影されているのだろう。 監督は「かつての自分は疎外感を抱えたアウトサイダーだった」と語っているが、マット・デイモン演じるリプリーも、まさに疎外感を抱えた孤独な人物だ。そんな彼がジュード・ロウ演じる上流階級のハンサムなディッキー・グリーンリーフと出会うことで、別の世界へと足を踏み出す。 ミンゲラは新人時代に発表した戯曲がパトリシア・ハイスミス作品に似ているといわれ、以後、原作を愛読していたという。そこへ彼の製作パートナーでもあったシドニー・ポラックから映画化の話が持ち込まれ、さっそく脚本を書き始めた。『イングリッシュ・ペイシェント』が作られる前の話だ。原作権は長年、『太陽がいっぱい』の製作者、ロベール・アキムが握っていたが、彼の死後、ようやくアメリカの製作者たちが版権を取得できるようになり、小説の発表から40年以上が経過し、ハリウッド版『リプリー』が誕生することになった。