燃えてしまった輪島朝市に「いつか必ず帰る日を信じて…」”出張スタイル”で踏ん張る母娘
株式会社テレビ金沢
けたたましく鳴り響く警報音。家を粉々にし、町を焼き、299人もの命を奪い、人々の暮らしを一変させた能登半島地震から7月1日で半年。奥能登の人口は4000人近く減り、たくさんの事業所が閉鎖に追い込まれた。あの日、街を真っ赤に染めた地震による大規模な火災。4万9000平方メートル、東京ドームよりも大きな面積分が焼け落ちた輪島朝市が、いま動き出している。 働く場を失った朝市のおばちゃんたち…その姿は輪島から遠く離れた金沢の港に、駅に、そして県外にあった。元日から生き延びるだけで精いっぱいだった被災地、そこからもう一度地元で生きていくために奮闘する能登へ…。「朝市の灯を絶対に消さない」と、朝市の復興、能登半島の復興へ、その一心で立ち上がり、歩き始めた母娘の戦いを追った。
能登の観光地、輪島朝市が燃えた
「朝市が燃えているぞ!」テレビカメラは、1000年以上の歴史を持つ輪島朝市を捉えていた。「朝市のおばちゃん」たちの「こうてくだぁ(買ってください)」という声が響く通り。国内外から年間50万人以上が訪れる奥能登随一の観光名所だ。鮮魚や加工品を販売する南谷良枝さんは、高齢化していく輪島朝市の中で、ピンク色の服を着ていつも元気な声を響かせる若手の旗頭だ。 南谷さんは、元日、輪島から100キロ離れた津幡町の神社に初詣に訪れ、商売繁盛を祈願していた。地震速報が示す場所は、地元能登。道路が寸断されたため、近くの道の駅で、車の中で不安な一夜を過ごした。翌日、無事を祈る気持ちで輪島に帰り目の当たりにしたのは、変わり果てた街の姿だった。毎日露店を出していた輪島朝市が、すべて燃えてなくなっていた。 一夜干しや塩辛など朝市に並べる人気の品に仕上げる魚の加工場も大きな被害を受けた。地盤が沈下し、建物が歪み、何百万円もする機械も倒れ、壊れた。「復旧に何年かかるか想像もつかない」と話す南谷さん。家族で朝から晩までこつこつと作り上げてきた自慢の商品が全て無くなった。祖母から受け継いだ日本三大魚醤の一つ「いしる」も、そのほとんどを失った。