燃えてしまった輪島朝市に「いつか必ず帰る日を信じて…」”出張スタイル”で踏ん張る母娘
編集後記
あの明るく優しい南谷さんが、地震後、絶望的な表情で話す姿が瞼に焼き付いている。高齢化する輪島朝市をなんとか盛り返そうと奮闘する姿を応援していただけに、なぜこんなことになってしまったのかと、私自身も現実を受け止められずにいた毎日だった。地震発生当初、石川県全体が不安な日々を送っていたが、日が経つごとに、その思いにも地域差が出てきたように感じる。 私も住む金沢では、これまで通りの日常が流れている。金沢に避難してきた南谷さんが「なんだか別世界に来たみたいや」と放った一言にハッとさせられたのを今でも鮮明に覚えている。美有さんが言うように、被災した当事者以外は、気づかぬ間にどこか“他人事”になってしまっているのではないかと感じた。そんな中、6月3日に再び緊急地震速報が鳴り響いた。改めて元日のあの瞬間を思い出した人は多く、離れた金沢にいる私も身震いした。 多くの人が、「こんな大地震が起きるなんて」と話す。正直、私もそうだった。しかし、身近で起きたのが現実なのだと、取材を通して感じている。南谷さんの姿から、知っている人が被災者として過ごす現状を知ったことで、初めて災害を自分事として考えたように思う。「いつ、どこで起こるかわからない」地震大国日本に住む多くの人に、この南谷さんの半年を通して「災害を自分事」としてもう一度見つめなおしてもらえたら幸いだ。 ※この記事は、テレビ金沢と Yahoo!ニュースによる共同連携企画です。