新日本プロレス50周年 昭和のブーム期支えた古舘アナの実況
自由度の高いプロレスで“フルタチ節”開花
そんな舟橋さんの実況にルーツを置く古舘さんの実況。舟橋さんのしゃべりをテンポアップし、ジャンルとは直接的には関係のないボキャブラリーをはめると“フルタチ節”になるという。 「当時の新日本プロレスは金曜ゴールデンで価値の高いコンテンツでしたが、放送局の中では他のおかたいスポーツ実況などと比べるとある意味で治外法権的な面もあって自由にしゃべれたんです。スポーツアナの世界では先輩に怒られたり、スポーツ局の番組ディレクターやプロデューサーには叱られたと思いますが、せいぜい『フナ(舟橋)さんみたいにきちっとしゃべれ』『ラジオじゃないんだからもっと黙れよ』とか、そんな声が一部で出た程度だったと思います。全般、古舘さんもやりやすかったのではないかな、と思います」(元民放放送局60代男性関係者) もともとプロレス好きだった古舘さんにとっては、まさに理想的な環境が整っていたと言えそうだ。 「たとえば大相撲だと伝統芸能でもあるし、しきたりを重んじるわけです。古舘さんも大相撲を実況するときはプロレスみたいに『さあ制限時間いっぱいだ!どうした木村庄之助、行事軍配を返した!おおっと差し違えかー?』なんてそんなこと言えないわけです。『東の花道から、さあ入ってまいりましたタイガー・ジェット・シン!インドの狂える虎!』とは言えないですから(笑)。『大関、堂々の入場です』って言わなきゃいけないですからね」(前出・元放送局関係者)
プロレスにフィットした工夫も
さらに、古舘さんは多彩なフレーズ以外にもプロレスにフィットした実況を工夫していたという。 「昭和のプロレスには、グランド(寝技)で選手がちょっと休んでいるように見えちゃう場面がよくあったんです。それを古舘さんは『さあヘッドロックの体勢、グランドの体勢に入りました。マットが心なしか揺れています。激しい息づかいがこちら放送席サイドに伝わってまいりますが、しかしながらアントニオ猪木、鬼神の表情だ。ここからどういう展開になるか。相手がちょっと動いた、お!今度はキーロックの体勢か。行かない、行かない、まだ行かない。おおっと這うようにしてロープサイドに行った、サードロープに足がかかった!』って、アクション的には別にたいしたことをやっているわけじゃないんですが、古舘さんの実況を聞くと絶え間なく戦況が動いているように伝わるわけです。しゃべりのテンポもいいから、聞いているほうが気持ちよくなってくるんですね。あれはしゃべっている古舘さん自身も気持ちよくて楽しかったと思いますよ」(前出・元放送局関係者) 古舘さんが新日本プロレスの実況を務めるようになったときには、前述のように猪木×アリ戦も経て団体の知名度と存在感はすでに高まっていた時期だった。「桜井さん、肌の色などを観察しますとですね、ま、東洋人かなというそんな気もするんですがね」と、まだ日本人であることさえ知られていなかったタイガーマスク(初代)のデビュー戦の実況を担当したのも古舘さんで、プロレスの枠を超えたタイガー人気なども手伝って新日本プロレスは隆盛を極めていく。テレビとプロレスが二人三脚だった時代、古舘さんの実況が昭和の新日本プロレスブームの立役者だったことは間違いないだろう。 (写真と文:志和浩司)