ナスダックの取締役会に多様性を求める上場基準が無効に
反対意見の概要
このような法廷意見に対しては、Stephen A. Higginson 判事が反対意見を述べ、6名の判事がそれに同調した。 反対意見は、証券取引所法は、SECはSROによる私的な秩序形成(private ordering)を監督するだけの限定的な役割を担うものとし、自らの政策的な優先順位によって私的な経営判断を排除することまでは認めていないと指摘する。そして幅広い投資家が取締役会の構成に関する情報を求めていることは否定できず、そうした情報が欠けていることが非効率や情報の非対称性につながるのであれば、ナスダックが規則改正で一定の情報開示を求めることについて、公正で秩序ある市場の維持に貢献すると考えたSECの判断は間違いとは言えないとする。 また、反対意見は、本文ではなく脚注においてではあるが、仮にSECが情報開示ルールの承認を拒否していれば、ナスダックはSECが恣意的または気まぐれに行動したと主張することが十分できただろうとも指摘する(注5)。そして、もしナスダックが投資家の情報に対する要求やそれに応えようとする上場企業の姿勢を読み誤ったのだとすれば、その問題を解決するのは、裁判所や行政機関の政策ではなく、取引所間の競争が展開される市場だろうと述べる。
判決の意義
ナスダックによる規則改正は、SECへの承認申請時から取引所による特定の価値観の押し付けだとする「保守派」の強い反発を招き、SECでの承認決議も共和党所属の2名の委員の反対を押し切る結果となった。その規則改正が無効とされたことは、「米国で企業の社会的責任とみられていた「DEI(多様性、公平性、包摂性)」推進が逆風にさらされている」ことを示すものだと言えるだろう(注6)。 とはいえ、今回の判決は、必ずしも「保守派」の主張が「リベラル派」の主張を封じ込めたものと見ることはできないように思われる。Higginson 判事の反対意見は、法廷意見がSROである取引所に認められた裁量権の範囲を狭め、SECがSROに対して一定の政策判断を押し付けることを容認してしまっていると批判しているからである。 典型的な「保守派」は、「リベラル派」が求める行政機関による経済活動への積極的な介入を「行政国家化」だとして否定し、立法機関の価値判断を尊重し、法律による行政機関への授権の範囲を厳格に解釈しようとする傾向が強い。そうした観点から今回の判決を見ると、法廷意見は、DEI推進を妨げるという特定の政策を支持するために、行政権に対する制約を重視する保守本流の姿勢から逸脱してしまったようにも思える。もちろん反対意見がSECの権限を制約する解釈を示したこと自体、「リベラル派」の求める政策方向を守るための方便に過ぎないと見ることもできるかも知れないが、法廷意見がはらむこのような問題点が、「保守派」色が強いといわれる第5巡回区控訴裁判所での9対8という僅差の判決につながる要因となったとも考えられる。 反対意見は、「多様性」を求める上場基準の妥当性は、市場によって判断されるべきだと述べたが、実際、ESGの観点への対応やコンプライアンス強化を求める風潮に反旗を翻して上場コストの引き下げを図るとうたうテキサス証券取引所(TXSE)設立構想も動き出している(注7)。仮にTXSEがコーポレート・ガバナンスのあり方に対して緩やかな上場基準を設け、それをSECが承認し、「リベラル派」から今回の訴訟と同じような訴訟が提起された場合、「保守派」はどのように対応するのだろうか。 今回の判決を受けてナスダックが、判決の法廷意見の意を汲む形で新たな規則改正を行えば、適法にSECの承認を得られる可能性もないわけではない。しかし、多様性ルールだけでなく情報開示ルールも証券取引所法の目的と関連しないと断じられてしまったのでは、DEI推進の方向で新たな規則改正を考えることは容易でないだろう。今回の法廷意見は、DEIの観点からの情報開示を投資家保護や公益の観点からは不要なものと判断したとも言え、情報開示制度全般に及ぼす影響も軽視できないように思われる。 (注1)Alliance for Fair Board Recruitment; National Center for Public Policy Research v. SEC, No. 21-60626 (Fifth Cir., December 11, 2024) (注2)SEC規則12b-2で定義され、浮動株時価総額2億5千万ドル未満等の要件を満たす企業を指す。 (注3)クイア(queer)には「奇妙な」といった意味があり、かつては性的少数者を指す侮蔑的表現であったが、現在では、自らをLGBTとして知られるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのうち特定のいずれかに該当するとは考えないが、一般的な異性愛者とは異なる性的指向や性意識を有すると自認する者の自称として肯定的に用いられる表現だとされる。 (注4)詳しくは、当コラム「取締役会の多様性向上を図るナスダックの上場規則改正」(2021年8月12日) (注5)SROによる規則改正をSECが不承認としたことが恣意的または気まぐれな行政行為として無効とされることもある。近年の著名な例としては、SECによるビットコイン現物ETF(上場投資信託)上場のための規則改正不承認を無効とした2023年8月のワシントンDC巡回区控訴裁判所判決(Grayscale Investments, LLC v. SEC, No.22-1142 (D.C. Cir. 2023) )がある。 (注6)『日本経済新聞』2024年12月14日付朝刊7面竹内弘文署名記事参照。 (注7)大崎貞和「米国の株式取引所の上場基準は多様化するか」(金融ITフォーカス2024年12月号)参照。 大崎貞和(野村総合研究所 未来創発センター 主席研究員) --- この記事は、NRIウェブサイトの【大崎貞和のPoint of グローバル金融市場】(https://www.nri.com/jp/knowledge/blog)に掲載されたものです。
大崎 貞和