戦艦+空母=最強? 日本海軍が生んだ「航空戦艦」の顛末とは 艦載機乗りは驚愕の“帰還方法”
伊勢型航空戦艦が完全な空母にならなかったワケ
太平洋戦争の開戦から半年後、1942(昭和17)年6月上旬に起きたミッドウェー海戦は、旧日本海軍が作戦に投入した4隻の正規空母をすべて失い、回復不可能な大打撃を被ったことで、大戦序盤に獲得していた日本側の優勢を終わらせたことでよく知られます。 【爆弾落とした瞬間だ!】終戦直後の「伊勢」「日向」、艦爆「彗星」のレアシーンも(写真) 現在の日本では「日本海軍は大艦巨砲主義であり航空機の役割を軽視した」という主張が散見されます。しかし、この見解は現実とはかけ離れていると言えるでしょう。実際、日本海軍は航空戦の重要性を深く理解しており、戦略面においても航空機の役割を重視していました。実際、不足した洋上航空戦力を補うために、貴重な主戦力であるはずの戦艦「伊勢」「日向」を航空戦艦へ改装する計画に着手するという、一大決心に踏み切ったことからも明らかです。 当初は全通甲板を備えた完全な航空母艦に造り変えるプランもありましたが、早期に戦力化する目的から船体後部の第5・第6の主砲塔のみ撤去し、後ろ側だけに飛行甲板を設ける、即席の空母化改装で終わっています。こうして、戦艦の火力と空母の航空機運用能力を併せ持つハイブリッド艦、伊勢型航空戦艦が誕生しました。 伊勢型の艦載機搭載数は改装前の3機から22機へと増大し、新型の艦上爆撃機「彗星」を搭載することとなりました。「伊勢」「日向」の2艦合わせるとその搭載機数は44機であり、ミッドウェー海戦で失われた空母「赤城」の艦上攻撃機と艦上爆撃機の合計数に匹敵します。ゆえに、空母1隻分の打撃力を期待できるという目論見でした。
飛行甲板で発着できないのに、どう運用する?
しかし、これは単なる数合わせにしか過ぎません。そもそも、艦の後部にしか飛行甲板がない伊勢型では、「彗星」の発着が不可能です。これは空母としては致命的といえるでしょう。 そこで、伊勢型では「彗星」をレール上の滑走台車の上に置き、台車ごとカタパルトで加速、「彗星」は母艦の針路からやや斜めにずれた前方へ射出、台車を分離し発艦するという大胆なアイディアが試みられました。これなら全機発艦も数分で行え、全通飛行甲板を持つ空母と比べても遜色ないものだったと言います。 ただ、一方で発艦はともかく着艦だけはどうにもなりませんでした。そのため僚艦となる他の空母に着艦するという奇策が用いられることになりました。しかし、これは攻撃隊が何割か損耗して未帰投で終わることを前提にしたもの。空母の艦上機が減っていなければ44機と搭乗員88名は帰る場所を失い、危険な不時着水を余儀なくされることを意味しました。なお、仮に空母へ着艦できたとしても、もし空母の収容機数があぶれそうになったら、逐次海上に機体を捨てる必要があったでしょう。 かくしてカタパルト発進型「彗星」は制式化され、「彗星二一型」ないし「彗星二二型」という名称も与えられました。しかし、さすがに作戦遂行の都度、貴重な艦上爆撃機を使い捨てにするという運用は無駄が多すぎること、また「彗星」の需要が非常に大きかったことから、「伊勢」「日向」への「彗星」搭載は後回しにされ続けます。