「大山加奈や木村沙織も祝福」元バレー代表・栗原恵が電撃婚&妊娠発表、美しいドレス姿も話題に…40歳のいまだから話せる“プリンセス・メグ”の本音
ファンから逃げるように…
出待ちをしてくれているファンを前にして、逃げるようにバスに乗り込んでしまったこともある。カメラを向けられないよう、できるだけ目立たないように、と下を向いて過ごしたことも。 「ファンの方の思いはもちろん嬉しいんですけど、 調子に乗っていると思われないかなとか、先輩たちがあんなにやってくれていて私は下手くそなのにとか……。できるだけ目立たないように、ということばかり考えていました。今思えば本当にファンの方に申し訳なかったですよね。でも当時はそうするしかなかった。そうすることしか、自分を守る術がなかったのだと思います」 栗原さんが10代で代表に入った当時の女子バレーは、五輪の切符を逃した2000年シドニー五輪から、2004年のアテネ五輪へと至る過渡期にあった。新生ジャパンとして重圧がかかる中で、「メグカナ」は彗星の如く現れたスターだった。 「プレッシャーは全部、先輩たちが背負ってくれていました。吉原(知子)さんや竹下(佳江)さん、オリンピックを逃した悔しさを味わった方達もいた中の日本代表で、私はそこを知らないのにこんなに取り上げてもらって大丈夫なのかなって。自分より上手な人が控えに回っていることもありましたしね。今思えばそこを気にせずもっとガツガツ行ってもよかったんでしょうけど、私はそういうタイプじゃなかった。考えて考えて、どうしていいかわからなくて結局シャットアウト、みたいなタイプ。本当に不器用でしたね」 栗原さんの代名詞となった「プリンセス・メグ」にも当時は少し戸惑いがあったという。初めてその愛称で呼ばれたのは、19歳だった2003年11月のワールドカップ。選手入場時の呼び込みアナウンスで、それぞれの選手にプレースタイルや愛称を取り混ぜたキャッチフレーズがついていた。 「事前には知らされていなくて、呼び込みで初めてわかる感じなので、選手もみんな楽しんでいました。『私は○○だったよ! 』っていう感じでネタにしたり。当時の私はプリンセスはちょっと、しっくりこなかったですかね。他の選手の名前と比較した時に、『今ちょっとそれを言わないで~』って思う時はありました。でも今思えば本当にありがたい。そこを覚えてくださっている方がたくさんいますから。40歳になって、1周回ってありがとう、っていう気持ちしかないですね」
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