「言葉にできない思いを抱えている人がいる」――遺族と向き合った研究者が語る、震災から10年 #あれから私は
藤田:僕が印象的だったのは、夢の話を聞き書きした『私の夢まで、会いに来てくれた』(2021年、朝日文庫)で、息子を亡くした母親が「非科学的だからと、亡くなった人と会う夢を否定するのはやめてほしい」と語ったことでした。第三者的な圧力を感じながら、言葉を紡いでいることがよく伝わってきたのです。金菱ゼミの研究を通すと、先入観がくつがえされ、被災者の生きた思考や感情を教えられます。
若い世代の前へ進もうとする力強さ
金菱ゼミの今年度は、「10年前の自分へ手紙を書いてもらう」が研究テーマだった。ゼミには家族や故郷を失った学生も多数、所属してきた。今の大学4年生は震災当時、小学6年生。彼らが書いた手紙からは、突然の変化に巻き込まれてきた若い世代ならではの思いが見えてくる。さまざまな世代が綴った31通の手紙は『永訣 あの日のわたしへ手紙をつづる』(新曜社)のタイトルで、1月に出版された。
藤田:『永訣』を読んで驚いたのは、被災地の若い世代が震災をプラスの経験として捉えようとしていたことです。「悲しいこともたくさんあったけど、支援を通じて多くの人に出会い、外の世界を知ったことで成長できた。ポジティブな性格になれた」と何人も書いていました。前向きな言葉は言いにくいだけに、僕には新鮮でした。 金菱:時間の存在は考えさせられますね。震災から6年目の『悲愛』では、亡くなった方への手紙を遺族に書いてもらいました。その中に石巻市の日和幼稚園に通っていた長女を亡くしたお母さんがいました。娘さんは何もなければ、小学校を卒業する年頃です。お母さんは手紙をひらがなで書くか、心の中で長女が生きてきた年齢に合わせて漢字も交ぜたほうがいいのか、悩まれていました。『永訣』に寄せた手紙でも、震災の朝に娘を幼稚園へ送り出した後悔は、10年を経ても消えることはなく、悲痛な叫びは胸をえぐられるようです。 一方で次女、つまり亡くなった長女の妹さんは少し違う捉え方をしていました。『悲愛』ではお姉ちゃんがいない寂しさだけでなく、一緒に遊んだ楽しい思い出にも触れていました。中学1年生になった去年は、姉との思い出を小説にして雑誌『石巻学』に寄稿しています。その小説で、お姉ちゃんは妹のような幼い姿になり、姉であり妹である二重の時間を生きる存在として描かれていました。 そして、お姉ちゃんと過ごす時間は心地よいけれど、そのままとどまってはいけないと次第に気づきます。最終的には神様の言葉に託した形で姉と決別し、姉の存在を抱えながら、自分と両親を現世での幸せを求める存在に変えていくのです。私は小説を読み、若者が持つ死者と決別する力強さに凄みさえ感じました。 藤田:震災の影響がどう咀嚼されたのか、普通の調査では出てこない無意識レベルの変化が、手紙や小説を書くことで表れているのでしょうね。