「言葉にできない思いを抱えている人がいる」――遺族と向き合った研究者が語る、震災から10年 #あれから私は
復興で置き去りにされる死者
復興事業では生者の生活が優先され、物言わぬ死者は置き去りにされる。しかし、金菱ゼミでは、死者と遺族、死者と被災地の社会的な位置づけに焦点をあてていった。その表現しにくい現象を言語化する手がかりが、幽霊や手紙、夢だった。 2015年は被災地の死生観を探るため、慰霊や埋葬の「霊性」に注目した。タクシー運転手が語る石巻市の幽霊談を分析した一人の学生の論文は、大きな話題を呼んだ。2016年は、遺族に亡き家族にあてた手紙の執筆を依頼。その手紙に頻繁に登場した夢の中での死者との邂逅(かいこう)は、翌年の研究テーマになった。
藤田:『悲愛 あの日のあなたへ手紙をつづる』(2017年、新曜社)を読んだとき、どこへも届かない死者への手紙だからこそ、ある種の普遍的なものにつながる感覚を覚えました。僕は金菱ゼミの活動が、被災者の心の中にある「語られにくかった場所」から言葉を引き出したと考えています。話したり、書いたりすることで治癒効果を得た被災者もいたんじゃないでしょうか。 金菱:助けになったかもしれませんが、逆に心の奥に深く沈んでいた感情をかき回したおそれもあります。一概には言えないです。東日本大震災の最大の特徴は、被災地の人たちが言葉を奪われてしまったことなのです。 藤田:言葉を奪われた? 金菱:たとえば、宮城県塩竈市の女性は、石巻市に住んでいた両親を津波で亡くしました。しかし、自身は津波を見ておらず、自宅も同居家族も無事でした。また、物資の援助やボランティア、マスコミは、避難所や仮設住宅などの「分かりやすい被災地」に集中し、女性には何の支援もありませんでした。そのことで彼女は「自分は被災者なのだろうか」と自問し続けています。大切な両親を亡くし、「自分は被災者」という当事者意識があるのに、周囲や行政という社会の側からはそう見られなかったからです。 さらに、心の内と社会のずれを抱える人を追い詰めるのが、外部の人間から勝手に優劣をつけられることです。亡くなった人の有無や被害の差、被災地の住民か否かによらず、当事者意識を持っている人は数多く存在しています。それにもかかわらず、とくにメディアは、大勢が亡くなった地域や子どもを亡くした家族など、「絵になる被災者」に注目し、典型例として取り上げます。 では、注目に値しない被災者は無視されてもいいのでしょうか。あるいは、外部の人間が満足する受け答えをすれば、被災者と認めてもらえるのでしょうか。先ほどの女性は、「私みたいな普通のおばさんは被災を語ってはいけないのか」と怒りをぶつけてきたこともありました。