大抜擢の先発でたった3球で危険球退場…カープの3年目ドラ1黒原拓未が失意のどん底から復活できた理由
今年活躍したプロ野球選手が一堂に会するNPBアワーズが都内で行われた11月26日、黒原拓未は広島で契約交渉に臨んでいた。新人王は次点に終わり、東京行きはかなわなかったものの、その表情は晴れやかだった。 【貴重写真】白スーツの衣笠、打席でエグい殺気の前田やノムケン、胴上げされる山本浩二、痛そうな正田、炎のストッパー津田恒美などカープ名選手のレア写真を一気に見る 「本当にすごくいい評価をしていただいていた。何より、また来季もこのチームで野球をさせてもらえることが、本当にありがたいことだと思う。そこに感謝の気持ちを持って、来年もがんばりたいなと思いました」 大幅増を提示されるなど飛躍のシーズンとなった1年は、“記録なし”の登板から始まった。 3月30日の開幕2戦目に先発予定だった森下暢仁が右ひじの張りを訴えたことで、直前まで開幕ローテーションを争っていた左腕の黒原に白羽の矢が立った。 転がり込んできたかたちの登板機会は、だが一瞬にして終わった。プレーボールから3球目がDeNA度会隆輝の頭部付近をかすめ、危険球退場を宣告された。敵地はブーイングに包まれた。代わった投手が失点したが、1アウトも取れなかった黒原の防御率は「―」。つまり、記録なしだった。 死球を当てた相手への謝意や首脳陣への申し訳なさ、これまでやってきたことを出せなかった無念に襲われた。それでも、自らを奮い立たせた。ようやくここまで辿り着いたのに、こんな形で転げ落ちるわけにはいかない――。そんな気持ちだった。
ドラ1が味わった失意の1年目
2021年のドラフト会議で、西日本工大の隅田知一郎(西武)、法大の山下輝(ヤクルト)を抽選で外した広島から1位指名を受けて入団した。1年目の22年は開幕一軍入りし、初登板から7試合連続無失点と上々のスタートを切った。だが、8試合目以降は失点する登板が続き、5月4日の巨人戦での2失点の翌日に二軍降格となった。 選手登録抹消からまもなく、以前から感じていた左肩の痛みをとるため、リハビリを主とする三軍に移った。即戦力として期待されたルーキーイヤーだけに「再び一軍へ」の思いが日に日に積み上がっていく一方で、違和感に似た痛みはなかなか消えなかった。 「もう、ストイックにやるしかないなと。自分の中ではきつくないと思っていたし、変わりなく過ごしていたつもりだったんですけどね」 一軍はおろか、二軍のマウンドにも上がれない。まるで真っ暗闇にいるようだった。気丈に振る舞っていたものの、5kgほど体重が落ちた。 結局、実戦に復帰することなく、1年目のシーズンを終えた。2年目の23年は二段モーションで制球力は上がったが、球への自信を持ちきれなかった。二軍で17試合に登板して6勝1敗、防御率2.58の好結果を残しながらも、一軍では初先発を含む5試合登板(3先発)で0勝1敗、防御率は10.66。まだ光は見えなかった。 3年目を前に、自分自身を大きく変えた。グラブを胸の前で止め、右足をゆっくり上げながらためをつくる投球フォームに変えた。フォーム改造が奏功し、体の力が球に伝わって球威が増した。そして、考え方も変えた。 「悪い時はフォームのことをいろいろ考え過ぎて(動きが)固まる傾向があった。体重移動と体を回転させるタイミングくらいで、あまり多くのことを考えないようにした」 始まりはつまずいたが、あれこれ考えなかった。マウンド上と同じようにシンプルに考えた。チームメートの支えもあった。開幕2戦目の試合後、同世代の益田武尚から無理やり連れ出されるように食事に出た。プロで苦い経験を多くしてきた大瀬良大地や中崎翔太からはメッセージをもらった。周囲が前を向くきっかけをくれ、黒原自身も奮い立った。
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