今季限りでリーグ脱退、広島エフ・ドゥと命運を共に「このクラブがあって人生が変わった」闘将・岩田裕矢が最後まで注ぎ続ける情熱|フットサル
真っ暗な公園で蹴り続けたスペイン生活
──岩田選手がフットサルを始めたきっかけは? 高校ではサッカー部に所属していましたが、3年生になる時にチームメイトが問題を起こして部活動が停止になってしまいました。サッカーはもうやめようと思っていたのですが、家の近くのフットサルチーム・福山ローザスの人に誘われてから通うようになりました。 社会人のおじさんたちが人工芝滑って傷だらけで、言い合いをしながら勝利を目指してプレーする姿に「俺が求めとったのはこれじゃ」と思って、ハマっていきました。 その時は平日の22時から24時まで練習があって、高校生でしたが走って練習に行ったりしながら通いました。 ──そこから、どのような経緯で広島に加入したのですか? 当時のローザスには、元々広島でプレーしていた選手が何人かいましたし、地方で一番強いチームがあるという話は聞いていました。 フットサルを続けるうちに、上を目指したいという思いが出てきて、そのタイミングで、全国の社会人大会の広島県代表の選考会がありました。そこで初めて広島の選手とボールを蹴って、ありがたいことに当時監督だった高垣から、チームにお誘いいただきました。 後日、誘われて練習に参加した後に選手たちと焼肉を食べに行ったんですよ。その時「今日は奢ったるわ」とみんなが割り勘で出してくれて、「お前これ奢ったけ、入るしかないな」と冗談で言われました(笑)。その時には「入ります」と言っていましたね。 ──それから、大学を卒業するタイミングでスペインに行かれたのですね。 当時、広島エフドゥが2年後に今のFリーグに参入することが決まっていたので、大学を卒業して1年浪人してFリーガーになる選択肢がありました。 ただ、自分の中でその1年がもったいなく感じて、日本のFリーグのチームに挑戦しようと考えていました。でも自分はうまい選手ではなかったので、漠然と他の人と同じ道に行ってもダメだと考えていた時に、高垣に海外を勧められました。「どうせ日本で挑戦するなら、もう海外に行っちゃえ。お前なら行けるよ」と。 1月31日の飲み会の時だったのですが、直感で「行きます」と即答したのを覚えています(笑)。母親に伝えたら「そうだと思った」と言われました。そこから1カ月半くらいで書類を集めて手続きをして、3カ月後にはもうスペインに飛んでいましたね。 ──チームは決まっていたのですか? いや、まったく決まっていませんでした。スペイン語も勉強していなかったので、現地に着いてから語学学校で勉強しながらチームを探しました。 ──スペインでの4年間はどんな時間でしたか? 大変でしたね。まずスペイン語が話せないので、語学学校でも最初の半年はずっと辞書と黒板を見比べていました。 4年間をトータルで考えると、自分の成長にコミットしていた期間でした。ほぼ毎週試合があるなかで、その週の試合結果は、月曜日から金曜日の過ごし方の結果だと思っていました。僕の中で100点はなく、どれだけ良い結果を出しても絶対に反省点があったので、プレー内容や平日の過ごし方を考えて、反省して、改善して……365日ずっとフットサルと向き合っていました。 試合に出られない時は、真っ暗な近くの公園で練習していました。電気もついていないところで、携帯の明かりを少し付けて足元のボールコントロールや筋トレをずっとやっていました。もうその時には戻れないです(笑)。 ──本当にストイックに取り組まれていたのですね。 常にフットサルだけのために生活していました。きつかったですね。 その時に、僕自身は自分のためだけでは限界があると感じました。ただ、そこで誰かのため、ファンのためと考えることで、苦しい時でも立ち上がることができていました。