平成の日本政治とは?(4完)新自由主義の席巻と民主党政権のトラウマ
権力の要諦を知る好機だった幻の「大連立」構想
小沢は「ねじれ」に苦しむ福田康夫総理に「大連立」を打診する。大連立で民主党議員を政権の内側に入れ、官僚の操縦術と政権運営の「コツ」を覚えさせる。次に自民党にも民主党にも考えの違う議員が混在しているのを、一度シャッフルした後で同じ考えの者同士を集め、2つの党に分ければ政権交代可能な構図が出来る。 さらに小沢は日本の外交を「日米同盟基軸」から「国連基軸」に変えることを連立の条件にした。米国とは協調するが、言いなりにならない体制を復活しようとしたのである。福田は外務省にその検討を命じた。ところが、民主党幹部はみな大連立に反対だった。次の選挙で政権を取れるのに連立する必要はないというわけだ。 それを聞いて私はがっかりした。政治の奥深さを民主党の議員たちは分かっていないと思った。冷戦時代に日本を高度成長に導いた、あの「絶妙の外交術」に代わる仕組みができたかもしれないのに、それを理解していない。民主党政権が誕生して国民はフィーバーしたが、私はきっと失敗するだろうと冷ややかに見ていた。 そして明治以来、この国を運営してきた官僚主導の権力は、小沢さえ押さえ込めば民主党政権ができてもどうにでもなると思ったのではないかと考えた。私の考えが当たっているかどうか知らないが、小沢は検察から摘発され、無罪にはなったが政治力を大きく削がれた。そして民主党政権は案の定、迷走を重ねた。
国民の期待がすぐ失望に変わった民主党政権
21世紀初頭に小泉の出現に熱狂した国民は、一時は民主党政権にも熱いエールを送ったが、それはすぐに失望に代わり、その失望が再び安倍政権を誕生させる。自民党が細川政権の誕生で野に下った期間は1年弱だったが、民主党政権の誕生で野に下った期間は3年3か月である。 民主党がもう少し成熟していれば、官僚の操縦術と政権運営の「コツ」を身に着け、自民党をさらに長く権力の座から遠ざける可能性があった。その恐怖感が安倍自民党を結束させる。そして安倍政権の長期化を可能にしている。