平成の日本政治とは?(4完)新自由主義の席巻と民主党政権のトラウマ
なし崩し的に専守防衛から逸脱していった自衛隊
小泉政権下では自衛隊に対する米国の要求がますますエスカレートした。2001年9月の米同時多発テロへの報復として米国がアフガン戦争を起こす時、アーミテージ国務副長官は柳井駐米大使に「ショー・ザ・フラッグ(日の丸を見せろ)」と言った。日本はテロ対策特措法を作り、海上自衛隊がインド洋で米軍に給油活動を行うことにした。 2003年のイラク戦争では「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を送れ)」と言われた。そのためイラク特措法が作られ、復興支援活動として陸上自衛隊をサマワに派遣、また航空自衛隊も現地で輸送活動に従事した。湾岸戦争でのマイナスイメージから抜けられず、日本は米国の「上から目線」の要求に応じざるを得なかった。 小泉は「自衛隊の行くところは非戦闘地域」と言ったが、現実には死人が出ることもあり得た。軍隊ではない自衛隊が、なし崩し的に軍隊として使われている現実をどうするか、日本人は真剣に議論しなければならないと思うが、それがないまま、その12年後の第3次安倍政権では解釈改憲によって集団的自衛権の行使が認められた。平成の自衛隊は専守防衛から大きく逸脱していく。 話を2006年に戻そう。小泉政権を引き継いだ第1次安倍政権も短命に終わる。小泉政権の負の遺産と、小沢率いる民主党の挑戦に敗れたのである。小泉構造改革は高度成長を成し遂げた日本の経済構造を破壊し、世界で最も少ない格差を過去のものとした。経済は成長しても国民に実感はなかった。
自民に対し「大きな政府」的政策を掲げた小沢民主党
2003(平成15)年に民主党と自由党が合流し、06(平成18)年には小沢一郎が民主党代表に就任した。小沢は「小さな政府」の自民党に対し、「大きな政府」を党の政策にした。その標語が「政治は国民の生活が第一」である。構造改革で痛めつけられた国民には魅力的に思えた。 2007(平成19)年7月の参議院選で安倍自民党は歴史的大敗を喫する。衆参「ねじれ」が生じ、安倍政権が国際公約した自衛隊の給油活動は継続できなくなった。にもかかわらず、安倍は続投を表明した。私には政治が分かっていないとしか思えなかった。9月の臨時国会が開かれてから、ようやく気付いたのか安倍は突然ぶざまな退陣劇を演じた。 一方で民主党は勝利に酔い、次の衆議院選で政権交代だと勢いづいた。しかし小沢は冷静だった。政権を取れば官僚を操縦することになるが、民主党の政治家には政権運営の経験がない。官僚を使いこなせないと考えていた。