苦節12年…逆転で悲願のJ2昇格を決めたSC相模原の劇的ドラマ
勝利を告げる主審のホイッスルが敵地・今治の青空に鳴り響いた直後に、SC相模原を率いる三浦文丈監督はピッチにきびすを返すように背を向けて、後方にいたスタッフに大声で確認した。 「長野、どうなっている?」 キックオフの時点でJ2昇格圏内の2位につけていたAC長野パルセイロが、いわてグルージャ盛岡に0-2で敗れた一報がもたらされる。近くにいたコーチングスタッフと誰彼なく抱き合う、三浦監督の姿を介して発信された至福の喜びは、ベンチ前からピッチのなかへ瞬く間に伝わっていった。 「あの瞬間はちょっと興奮しちゃいました。最高ですね。こんなにも嬉しいとは思わなかった」 20日に一斉に行われた明治安田生命J3リーグ最終節。キックオフ時点で長野に勝ち点1ポイント差の3位だった相模原がFC今治を2-1で振り切り、終わってみれば勝ち点で逆に2ポイント差の2位でフィニッシュ。ゼロベースから創設されて13年目、J3の舞台へ挑んで7シーズン目にして決めた悲願のJ2昇格決定の瞬間を、指揮官は人事を尽くして天命を待つ心境になぞらえた。 「フロントも全員来ていましたけど、長野さんの情報は取らないように伝えていました。今治さんに勝つことに100%集中して、勝った瞬間を待とう、と。なので、誰一人、知らなかったと思います」 元日本代表の望月重良氏が全額を出資し、代表を務める形で相模原は2008年2月に創設された。知人が住んでいた神奈川県相模原市を初めて訪れ、食事をした居酒屋の店主が偶然にもサッカー好きだった縁で意気投合。サッカークラブ創設で話が盛り上がったことがきっかけだった。 2007年1月に33歳で引退した望月氏は、国の特定難病に指定されている突発性大腿骨頭壊死症と闘病していたことを後に告白している。燃えるものがなかなか見つけられなかったセカンドキャリアにおいて、人口が70万人を超え、政令指定都市への移行も目前に迫っていた相模原市に眠るポテンシャルの大きさを考えたときに、モチベーションが頭をもたげてくるのを覚えずにはいられなかった。 2008年に神奈川県社会人サッカーリーグ3部からスタートした戦いは、2部、1部、関東サッカーリーグ2部、1部、そしてJFLとすべて1年でクリア。2014シーズンから創設されたJ3へも名前を連ねた先に、チーム力を増強するだけでは超えられないハードルがそびえ立っていた。