甲本ヒロトと国会議事堂前で全裸撮影。バンドマンから48歳で弁護士になった男のロックな半生
ロックミュージシャンから、48歳で弁護士に転身。 「the JUMPS(ザ・ジャンプス)」のボーカルであり、弁護士でもある島 昭宏さん(アーティスト名:島 キクジロウ)のキャリアは異色そのものだ。 【写真14点】「バンドマンから48歳で弁護士になった男のロックな半生」を写真でチェック
なぜ彼は、40代後半で新たな道を歩み出したのか? 島さんの半生を辿った。
バンド活動、シリーズギグでシーンを牽引
名古屋市内で生まれた島さん。地元は“喧嘩が強いことがステータス”なエリアだったが、小学3年生の頃に新興住宅街に引っ越し、環境が変わった。 島さんと音楽との出合いは、意外にもロックではなくフォークだった。 「小学5年生で知った、フォークの神様・岡林信康のインパクトが凄かった。貧困や部落差別のことを明確に歌っていたのが刺さりまくったし、部落差別による狭山事件のことも知り『これは俺が変えないと』って思ったんだ」。 その後、島さんは県内随一の進学校である東海中学へと進み、高校生になると音楽活動も始めた。
「高校でバンドを組んで、それから1977年のパンクムーヴメントの影響で、クラッシュに衝撃を受けた。『ロックなら社会をひっくり返せる、これが生涯の道だ!』と、音楽で生きていくことに決めたんだよ」。 社会変革を胸に、東京へ出るため早稲田大学へ進学。すぐにバンドメンバーを集め、夏にはライブハウスに出演していた。 「あるときライブハウス新宿ACBから、『1日空いてるから好きなことやってみなよ』って声をかけてもらってさ。これが自分でイベントをやるきっかけ。イベントを企画して色んなバンドを集めたら、めちゃくちゃ盛り上がったんだよね」。
「続いて2回目も盛り上がっちゃったんで、1982年4月から『JUST A BEAT SHOW』というシリーズイベントを毎月やろうってことになったんだよね。1985年からは拠点を渋谷屋根裏に移し、自分のバンドも『ジャンプス』になった。その頃のシーンはぐんぐん盛り上がっていったね」。 「JUST A BEAT SHOW」には、のちに日本の音楽シーンを牽引するザ・ブルーハーツやザ・ストリート・スライダーズ、辻 仁成率いるエコーズやレピッシュ、さらにミッシェル・ガン・エレファントなど、錚々たるバンドが出演していた。 島さんは当時の熱狂をこう振り返る。