甲本ヒロトと国会議事堂前で全裸撮影。バンドマンから48歳で弁護士になった男のロックな半生
41歳の誕生日、もうひとつの人生を問いかけた
20年続いた「JUST A BEAT SHOW」も、2002年に300回を迎えたことで区切りをつけた。新たなイベントにも取り組んでいたが、翌2003年に41歳の誕生日を迎えた朝、島さんは布団の中で考えたという。 「16歳でバンドを始めて25年。気付いたらベテランになり、先も見えてきた感じがしたけれど、人生にはまだ半分の時間がある。 『おまえ、人生がもうひとつあったら何をする?』って自分に聞いてみた。最後までバンドをやり続けるのも、もちろんハッピーだけど、俺の目的は楽しいバンド活動じゃなくて、社会変革だったはず。もう少し社会に直接コミットできる人生があってもいいと思ったんだよね」。 具体的に何をするかと考えていたとき、新聞でロースクール(法科大学院)が設立されることや司法試験科目に環境法が加わることを知り、弁護士になることを決意した。
弁護士になるには、ロースクールを卒業して、司法試験に合格し、司法修習を修了しなければならない。 大学側が求めるような社会経験のない島さんは、書類審査の通過に難航したものの、2005年春に法科大学院未修コースに入学。朝から晩まで、文字通り勉強漬けの生活を送った。
パンクロックと弁護士に共通するものは「自由」
2009年9月に司法試験に合格し、高知修習を経て、2010年12月に弁護士登録。ロースクール入学から5年半、48歳で最難関といわれる弁護士資格を掴み取った。環境問題に取り組みたかった島さんは、弁護士登録と同時にキャリアをスタートさせた。 「最終試験が終わった直後から八ッ場ダム住民訴訟の弁護団会議に参加し、弁護士になると同時に書面も書かせてもらった。その後すぐ東日本大震災、福島原発事故が起きて原発・エネルギー問題にも取り組むことになったけど、その前から『シロクマ弁護団』にも参加していた。 国内の大手電力会社に対して、『CO2の排出を減らせ』と公害調停を申請するために、気候変動で一番影響を受ける人たちに参加してもらおうと、みんなでツバルまで行ったよ」。