思春期には白杖を持つことに葛藤も…視覚障害者・白杖ガールが発信し続ける“心のバリアフリー”「物理的なバリアフリーは誰かのバリアになる」
◆物理的なバリアフリーは誰かのバリアに…心のバリアフリーは障害者だけでなく、すべての人のためのもの
──最近は点字ブロックの間に車椅子が通りやすい幅を設置する動きもありますね。 【杉本梢さん】 ただそうしたハードを設置するのは時間もコストもかかりますし、物理的、制度的にすべての人にパーフェクトなバリアフリーを実現するのは、どこまで行っても無理なんじゃないかと思うこともあります。だからこそ私は「心のバリアフリー」を社会に普及したいと思って活動しています。 ──「心のバリアフリー」とはどういうことだと理解すれば良いのでしょうか。 【杉本梢さん】 社会にはいろんな体や心の特性、考え方を持っている人が暮らしています。障害者だけでなく、怪我や病気の人、お腹に赤ちゃんのいる人、高齢者や外国籍、LGBTQ──そのどれに当てはまらなくて、誰しも「困ったな」という状況になることはあると思います。相手のすべてを受け入れるのは難しいかもしれません。それでも少なくとも違いを否定せず、お互いを理解し、歩み寄ったり、譲り合ったりすれば、誰もが優しい気持ちで過ごせるようになります。誰かのバリアになってしまうこともある「物理的バリアフリー」に対して、「心のバリアフリー」は障害者だけでなくすべての人のためのものなんです。 ──杉本さん自身は視覚障害をコンプレックスに感じたことはありましたか? 【杉本梢さん】 視覚障害によって「挫折」したことは何度もありますね。最も大きかったのは天職だと思っていた特別支援学校の教員を、目の酷使によるドクターストップで辞めざるを得なかったことです。ただコンプレックスに感じた記憶はあまりないです。「前向きだね」「明るいね」とよく言われるのですが、それはきっと親の育て方が大きかったと思うんです。 ──お母さまとはどんな思い出がありますか? 【杉本梢さん】 私は3人きょうだいなのですが、目が見えるきょうだいと分け隔てなく育ててくれました。「目が見えないからこれはダメ」と言われたことはなかった。小学1年生の時に姉の自転車がうらやましくて、「私も乗りたい」と言ったら買い与えてくれましたし、ある程度、乗れるようになったら1人で遠くに行ったこともありました。母も心配だったのでしょう。後から聞いたらこっそりついてきていたらしいです。私はぜんぜん気が付かなかったのですが。そしてある時、土手に突っ込んでしまったんです(笑)。 ──その時、お母さまは? 【杉本梢さん】 駆け付けなかったんです。もちろん大ごとになっていたら駆け付けたでしょうけど、私がムクッと起き上がったのを見て大丈夫だと思ったんでしょうね。私もその時のことはよく覚えています。泣きたかったけれど、「自転車に乗りたい」と言ったのは自分だし、なるほど、無茶するとこういう痛い目を見るんだなと学び、グッとこらえて家まで自転車を押して帰りました。 ──お母さまとしても、転んで痛みを知るのも経験というお考えだったんでしょうね。 【杉本梢さん】 包丁や火を使うのも制限されなかったですし、おかげで日常生活にも困りません。母は私を「尊重し受け入れてくれる」人でしたが、障害への理解に関する研究論文によると、社会の障害者に対する意識と態度の程度は、4つの領域に類別されているとも言われています。障害者を社会的悪とみなし、傷つけるような事件が時々起こりますが、残念ながら、社会にはいろんな人がいるということですよね。 ──「同情」という感情も根強くありそうですが、これはいけないことなのでしょうか。 【杉本梢さん】 一概に否定はできないですよね。障害者と接したり、障害について学ぶ機会も少なかったりするので、障害への理解の程度は個人で異なるわけですから──。実は障害者の親にも、本来は日常で経験を積めばできることも「かわいそうだから」と過度な手助けをし、成長の機会を逃してしまう方もいるんですね。最近は小学校で講演をする機会も増えているのですが、1人でも多くの子どもたちに、障害への関心と理性的な考え方を伝えていくことが、「心のバリアフリー」を実現するためには大切だと思っています。 (文/児玉澄子)