エイドリアン・ニューウェイのアストンマーティンF1加入は、どう決まったのか?:その時系列を追う
4月:ニューウェイ、鈴鹿の週末にレッドブル離脱を決断
アストンマーティンがニューウェイにオファーしたという噂は、あっという間に広がった。しかし、ニューウェイのレッドブル離脱が明らかになるには、この4月末まで待たねばならなかったのだ。 ニューウェイ曰く、鈴鹿での日本GPの週末に、レッドブルを離脱することを決断したという。 「新しい挑戦が必要だと感じたのだ」 ニューウェイはそう語る。 「4月の終わりの頃、何か違うことをしなきゃいけないと決心した。妻のマンディと長い時間話し合った。『さて次は何をしようか? 世界中を船で旅して周るとか、アメリカズカップなど何か別のことをしようか?』といった具合だ」 「4月の鈴鹿の週末にレッドブルを辞めると決断した時には、次にどうなるかということは、本当に全く分からなかったんだ」 motorsport.comでは、4月25日にニューウェイがレッドブルを離脱する予定であると報じた。しかしこの時点では、ニューウェイが別のチームに移籍するには、2027年まで待たねばならないと考えられた。彼の契約期間は2025年いっぱいまでであり、その後12ヵ月間のガーデニング休暇を取らねばならない条項が含まれている可能性もあったからだ。
5月:レッドブル離脱が正式発表。しかし今後のプランは不透明
5月1日、レッドブルはニューウェイの離脱を正式に発表した。これによりニューウェイは、サーキットでの仕事を徐々に減らし、ハイパーカー”RB17”の仕上げ作業に徐々に重点を移す予定であるとされた。またチームは2025年3月にニューウェイが離脱できるよう、契約期間を短縮することにも合意。これは非常に重要なことだった。なぜならこの段階で他のチームに加わることができれば、2026年用マシンの開発に関与することができるからだ。 なお当初から触手を伸ばしていたアストンマーティンだけではなく、フェラーリもニューウェイに接触し、この頃にはニューウェイの移籍先最有力とも言われた。これまでフェラーリは、ニューウェイが作り上げたウイリアムズやマクラーレン、レッドブルのマシンと、激しいタイトル争いを繰り広げてきたという歴史がある。つまり、ライバル関係だった両者が、ついにタッグを組むことになる……そういう見通しになるものと思えた。 2025年からフェラーリに移籍することが決まっているルイス・ハミルトンもこの頃、「一緒に仕事をしたい人のリストを作るとしたら、間違いなく彼(ニューウェイ)がそのトップにいる」と語っている。 その他のチームも、ニューウェイと接触した。 ウイリアムズは、おそらく比較的楽観的に、ニューウェイ獲得競争に名乗りを挙げたものと見られる。前述の通りニューウェイは、1991年から1996年にかけてウイリアムズに在籍。4回のコンストラクターズタイトル獲得に貢献した。そのニューウェイを復帰させるというアイデアに、ジェームス・ボウルズ代表も大いに賛成していた。 「彼と話をしないのなら、それは私の怠慢だ。それだけだよ」 当時ボウルズ代表はそう語っていた。 マクラーレンのザク・ブラウンCEOは、ニューウェイと接触していることは否定したものの、「飛び交っている履歴書の数から判断すると、彼(ニューウェイ)はおそらく最初に倒れるドミノだろうが、それが最後ではないだろう」と、レッドブルの体制が崩れつつあることを示唆した。 メルセデスも、ニューウェイ獲得に動いていたと言われる。しかし結果的に断念し、引き続きジェームス・アリソンにチームの技術的な面を任せることを決めた。