誰かの背中をポンと押せる物語をーー小さな田舎町の主婦が、「物書き」になるまで
専門学校を卒業後、理容師になったが、シャンプー液による手荒れに悩まされ、早々に退職。そこからは職を転々とした。ファミレス、エステティックサロン、ひよ子饅頭の販売など。OLにも憧れてパソコン教室に通い、車関係の会社で事務職に就いたこともある。 「両親から見れば、私は本当に継続性のない娘だったでしょうね。そのまま地元で結婚をして、家庭に入りました」 だが主婦として子育てに専念しつつも、迷いを感じていた。これといって仕事を積み上げてきたわけでもない。毎日、自分には何もない、という空虚な気持ちに苛まれたという。 そんななか、憧れていた氷室冴子が死去する。 「子どもの頃は、氷室さんに会いたい、そのために小説家になると決めていたのに、結局何もできていない。ダラダラと人生を消費するだけで、このまま終わってしまうのかなと、焦りを感じて。もう一度、小説家を目指してみようと、ケータイ小説を書き始めました」 思い立って小説を書くようになってからは、毎日が一変した。 夜泣きをする子どもを抱えながら、片手でガラケーを打ち、物語を紡ぐ夜が続く。 「ケータイ小説では結果を出せませんでしたが、再び作家になるという夢を見るようになって、すごく気持ちが前向きになったんです。そこで親しくなった方から、『応募してみたら?』とアドバイスをいただいて、現在があります」
読むこと、書くことに救われ、いじめも乗り越えた
町田は小学校高学年の頃のいじめ体験を公言している。 「その頃の私は背が低くて、とても太っていました。分厚いメガネをかけ、動きも鈍いから体育は大の苦手。ヘアスタイルも、不器用でどうしたらいいか分からなかったので、ベリーショートです。男の子たちから『デブ、ブス』と罵られるようになって、プリントの配布を私だけ飛ばされたり。そのうち『バイ菌、触るな』とみんなから避けられるようになりました。女の子たちも、『やめなよ』と言いながら、『もう少し痩せてもっとしっかりすればいいんじゃない?』って、そのアドバイスで余計傷つくという」 いじめを受けている最中は、氷室冴子の小説に耽溺した。誰も自分に寄りつかない休み時間も現実を忘れ、別世界にワープできた。 「当時は半年に一冊、新刊が出るくらい、氷室冴子さんが精力的に執筆されているときでした。だから氷室さんの次回作を待って、それまでは頑張ろう、生きようというような、励みにしていました」 担任はとても厳しい教師だったという。その目を盗み、いじめは水面下で続いた。親を悲しませたくないという一心から、事実を誰にも言い出せなかった。エスカレートするなか、ある日同級生にどつかれてバランスを崩し、机に頭を強くぶつけてしまう。 「さすがに『このままじゃいけない』と思いました。そこで思い立って、『実はこんなふうにいじめられていて、つらい』という気持ちを、作文にしてみたんです。でも勇気がなくて、先生に提出もできず、机の中にしまっておいたんですけど……それを親がたまたま発見したんですよ。いじめに気づいていたから探ったというよりは、『珍しくあの子が真面目に宿題をやっているな』と思って軽い気持ちで見たようなんですが、そこで事実を知って驚いて。作文を学校へ持っていきました」 作文を読んだ担任は、翌日から2日間授業を中止し、代わりに「あなたたちがしたことを語り合いましょう」とホームルームを行ったという。町田を苦しめたいじめは、大人の介入で終結した。しかし、狭い地元では、中学に進学しても過去のうわさがまとわりついた。その居心地の悪さは、古傷のように町田の心に残る。 「今でも、コミュニケーションが苦手なところはありますね。でも、こんな体験をした私でも、大人になれば、好きなことができている。気のおけない人とお酒を飲んでワーワー話して、笑って暮らしているんですから。こんな話が、少しでも誰かの励みになれば」 子ども時代は小説に救われ、また作文を書くことで、いじめを終結させる糸口を見いだした。 大人になって人生の目的を見失ったとき、氷室冴子が作家への夢を思い出させてくれた。 町田の人生には、いつでも読むこと・書くことがターニングポイントとしてある。