「なんで私が全部?」こぼれた涙 一人娘が背負った「トリプル介護」
親が高齢となり、子どもが介護を担うことは誰しも想定されるが、一人っ子はその役割を一手に引き受ける可能性が高まる。祖父母や実母の介護を一人で背負った、ある女性の体験に耳を傾け、一人っ子の負担や社会に求められる対策を考えたい。 【図】夫婦の子ども数の割合の推移
「長男の一人娘」の呪縛
母も祖父母も置いて、どこかに逃げてしまおうか。家族が寝静まった真夜中、そんなことを考えた。 30代前半でなし崩しに始まった「トリプル介護」。終わりは一向に見えなかった。一人っ子で他に代わりがいないのは私のせいじゃないのに。ぶつけようのない言葉が涙になって、何粒も膝に落ちた。 関東地方で暮らす花岡里美さん(50)=仮名。6年前に実母をみとるまで、祖父母と合わせて3人の世話を1人で担ってきた。逃れられなかったのは「長男の一人娘」という呪縛があったからだ。 九州の田園地帯で生まれ育った。父は4人兄弟の長男。実家で同居する祖父母は、長男が家を継いでいくべきだとの考えが強い人だった。二つ違いの弟がいたが、里美さんが5歳のときに病死。実質的に一人っ子になり、長男に代わる役割を期待された。 「里美は将来この家を継ぐんだからね。婿をもらわないといけないから、長男とは結婚できない。連れてくるんじゃないよ」 まだ結婚のイメージもつかない小学生のころから、祖母にはそう言われた。 進学も就職も、家を離れないことが条件で、県内にある福祉の専門学校に進学。介護福祉士の資格を取り、祖父の紹介で家から通える介護施設で働き始めた。気付けば、家族が敷いたレールの上を走っていた。
実家暮らし条件に結婚
そんな矢先、交際していた男性との間に子どもを授かった。当時は21歳。相手が長男と分かると、祖母は冷たく言い放った。 「婿に来てもらえないなら、子どもはおろしなさい。男の人は他にいくらでもいるから、別れなさい」 両親も祖父母と同じような考えで、味方になってはくれなかった。父は里美さんの弟が亡くなった頃からギャンブルにのめり込み、仕事に行くと言っては競艇場に通う生活。母も病気がちで、何でも話せるような親子関係ではなかった。 祖父母が前面に出て交際相手の家と何度も話し合った。その結果、交際相手は婿に入らない代わりに、里美さんの実家で暮らすことを条件に結婚を認めてもらった。 両家から「後継ぎ」を期待されたが、生まれてきたのは女の子。「次は男の子を産んでね」。「2人以上産んで、1人はうちの後継ぎに」。周囲の期待はプレッシャーになった。 その後、2度の流産を経験。心身を擦り減らす里美さんを見かねて、婿に入り直してくれた夫は里美さんが30歳の時に病気で急死した。 それまでは老人ホームで働き、夜勤もしていたが、当時9歳だった一人娘を育てるために、夜勤のないデイサービスに移り、必死に働いた。