主将の吉田麻也が語る「東京五輪金メダル獲得3か条」
東京五輪での金メダル獲得を目標に掲げる、サッカーのU-24日本代表が5日、静岡県内で事前キャンプをスタートさせた。 A代表を兼任する森保一監督からキャプテンを託されたオーバーエイジ枠の32歳、DF吉田麻也(サンプドリア)は2008年北京、2012年ロンドン両大会に続く3度目の五輪。対照的な結果に終わった過去の2大会で得た経験をもとに、母国開催のヒノキ舞台を笑顔で終えるための“3ヵ条”を24歳以下の若き日本代表たちに求めた。
「3回も五輪に出場できるのは幸運」
カタールワールドカップを目指すA代表でも最終ラインに君臨し、酸いも甘いも噛み分けてきたベテランの吉田が、日本サッカー界の歴史に名を刻もうとしている。 開催時で23歳以下の年齢制限が課せられた1992年のバルセロナ大会以降で、五輪の男子サッカー競技で複数の大会に出場した日本人選手は数えるほどしかいない。 1996年のアトランタ大会に19歳で出場したMF中田英寿とDF松田直樹(故人)が、4年後のシドニー大会にも出場した。この2人に東京大会へオーバーエイジで招集された2012年のロンドン大会代表のDF酒井宏樹(浦和レッズ)、2016年の前回リオデジャネイロ大会でキャプテンを務めたMF遠藤航(シュツットガルト)が加わる。 日本が連続出場中のアトランタから東京へと至る系譜を見ただけでも、20歳になる直前の北京大会、オーバーエイジで招集されてキャプテンも務めたロンドン大会に続いて、3度目の五輪へ臨む吉田がいかに稀有なキャリアを刻んでいるのかがわかる。 事前キャンプ初日の練習開始前にオンライン取材に対応した吉田は、代表メンバー22人のなかで最年少の18歳、GK鈴木彩艶(浦和)とひと回り以上も年齢が離れた自らの立ち位置に苦笑しながら、東京での目標をあらためてメダル獲りに設定した。 「3回も出られるのは本当に幸運だと思っています。仲間に加えてくださったスタッフと選手のみんなには感謝の気持ちでいっぱいですけど、感謝するだけじゃなくて結果で恩返しがしたい。前回のロンドンは4位だったので、残るはメダルしかない。そのために自分と他の2人が、オーバーエイジとして呼ばれたと思っています」 年齢制限が設けられる以前の、アマチュア選手が原則として五輪の出場資格を得ていた時代の日本代表はどうだったのか。1964年の前回東京大会、続く1968年のメキシコ大会ではFW釜本邦茂ら14人もの選手が連続出場を果たしている。 しかし、3大会出場となると実は一人しかいない。1956年のメルボルン大会、東京大会をへて、35歳で臨んだメキシコ大会で「伝説のキャプテン」と呼ばれたMF八重樫茂生(故人)を中心とした18人が獲得した銅メダルが、現時点での最高位となる。 早稲田大学の後輩でもある釜本からのパスが少しでもずれると、八重樫はボールを通過させて釜本に取りにいかせた。点取り屋としての片鱗を見せていた釜本にあえて厳しさを求め、同時に自分自身にも凡ミスは許されないとプレッシャーをかけた。