未曽有の大震災に大規模テロ「1995年」をカルチャーから振り返る
2024年は大地震に飛行機事故にと波乱の幕開けとなったが、今から約30年前、1995年には同様に大きな震災や事件が起こり“戦後史の転機”といわれた。“1995年”とは、どんな時代だったのか、カルチャーとともに振り返る。 【動画】1995年の渋谷をがむしゃらに生きた若者たちの青春偶像劇
1995年はどんな年だったのか?
1989年1月8日、元号が昭和から平成へ。1990年代は時代の変わり目に幕を開けた。1991年に、好景気に沸いたバブルが崩壊。以降も企業倒産が相次ぎ、就職氷河期へ突入。夏場の異常高温が話題になり始めましたのも、この頃だ。また国外では、湾岸戦争が勃発し、旧ソ連が崩壊してロシアに変わるなど、激動の時代でもあった。バブルの余韻をまだ残すものの、迫りくる不況や世界の混迷がじわじわと身近に迫っていることを肌で感じる……そんな時代だった。 そして1995年――年明け間もない1月17日に、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が、2ヵ月後の3月20日には、地下鉄サリン事件が立て続けに発生。未曾有の大災害と世を揺るがす大事件だった。 とはいえ、当時の若者たちはエネルギーにあふれていた。ビデオがDVDに、レコードがCD・MDにとって代わり、Windows95が発売されてパソコンが一般化。アナログからデジタルへ――。急速な時代の転換期のど真ん中に身を置く若者たちは、旧来のダサい大人たちを尻目に“新しい時代に入る”と直感し、来る未来に期待していた
1995年“渋谷”の光と影
そんな若者たちが集まる “渋谷”は、1995年という時代の転換期における中心だった。渋谷系、クラブカルチャー、コギャル、アムラー、小室哲哉、ヒップホップなどの音楽から、チーマーやコギャル、スニーカー&ヴィンテージデニムブーム、“裏原宿”と呼ばれるエリアから生まれた「裏原系」などのファッション、アニメやゲームといったサブカルチャー、ポケベルなどのデジタル機器まで、若者文化の発信地はストリート=渋谷にあった。 一方、当時の渋谷には闇の側面もあった。チーマーたちによる抗争や、品薄で高騰したスニーカーを奪う“(ナイキ)エアマックス狩り”、女子高生による援助交際なども横行。混沌とした時代であったがゆえに、無秩序な場所になっていたことも否めない。