女優・黒田福美が語る“正体不明の病”と闘い続けた10年間 「一歩一歩を踏みしめるたび痛みに苛まれる生活は本当につらいものでした」
壊死したはずの骨が再生し始めて…
それからは1か月ごとに通院して症状を観察したが、距骨壊死と診断されて装具で固定してから3~4か月後、なんと距骨が再生し始めた。壊死した骨は、二度と再生しないと言われていたのに…。 「医師も腑に落ちない、という面持ちで、“距骨壊死ではないのかもしれない”と思い始めたようでした。次第に痛みも緩和されていきました」 結局、発症してから半年後には回復してしまった。疑問は残ったものの、これで日常に戻れると思った。ところが、それも束の間のことだった。 「最初に発症してから2年後の2015年、右股関節に引きつるような痛みを感じ、近隣の病院で今度は『大腿骨頭壊死』と告げられました。骨形成の名医である某大学病院の医師を訪ねると“骨髄浮腫はあるが、骨壊死はない”と明言され、この症状はよく骨壊死と間違われるということも聞きました。松葉杖がないと歩けないほどの痛みはありましたが、時間をおけば回復すると言われ、前回のときよりも安心しました」 医師の言う通り、3か月ほどで痛みはなくなった。ところがこの後、1年から1年半ほどするとまた痛みが出る、という状態を繰り返すようになった。それもすべて別の部位だ。 2013年の左足距骨から始まり、右大腿骨頭、左大腿骨頭、左膝関節、右踵骨、右足距骨と、2021年までの8年間で6か所に痛みが生じては消えるようになった。 「激痛が走る初期段階では、患部に体重がかからないよう松葉杖での生活に。ひどいときは痛みで家事すらできないほどで、ヘルパーさんに来てもらうことも。 痛み止めもほとんど効かないのですが、1か月ほどがまんすると、痛みがやわらいでいくのです」 闘病中も仕事はできるだけ続けた。事前に足に痛みがあることを伝え、相談しながら進めたという。 「あるドラマの撮影では入水自殺のシーンがあると言われ、さすがにそれはできないだろうとお断りしようとしたところ、そのシーンのときだけ後ろ姿にして代役を立てると言ってくださって…。正直に話すことで理解を示してくださるスタッフさんに恵まれました。本当に感謝しています」 病気だから、自由に動けないからとあきらめず、いまの自分にできることはないか模索し続けたからこそ、引き寄せた縁だったのではないだろうか。