大国に挟まれた弱小民族だったユダヤ人は、戦の神「ヤハウェ」を崇めた
信仰をめぐる争いが始まる
この「イスラエルの民」が元はどんな人びとだったか、実はよくわかりません。肥沃な低地を見下ろす山地に住み、羊や牛や山羊を飼っていた。人種も文化もまちまちなグループの寄り合い所帯だったらしい。逃亡奴隷やならず者やよそ者もまじっていたかもしれない。 それが、定住農耕民と張り合おうというので、団結して、ヤハウェを祀る祭祀連合を結成した。ヴェーバーの言い方だと、「誓約共同体」(同じ神をいただく宗教連合)ですね。そして少しずつ、カナンの地に侵入していった。 旧約聖書には、モーセが人びとを率いて紅海を渡り、シナイ半島をさまよった「出エジプト物語」とか、モーセのあとを継いだヨシュアが、エリコの町を攻略したとか書いてありますが、これはずっと後世に書かれたもので、その通りの歴史的事実があったとは信じられない。 じゃあ実際はどうだったのかというと、あんまり古いことなので、よくわからないのです。でもともかく、ときには平和的に、ときには実力で、先住民に割り込んで、カナンの地に定着した。そして、彼らの国をつくった。 この段階では、ヤハウェは、数ある神々のひとつです。カナンの先住民は、さまざまな神を信じていた。バアルと総称されるが、主に農耕を司る神で、偶像を崇拝していた。ペリシテ人はダゴン神、モアブ人はケモシュ神という具合に、めいめい神を祀っていた。 実はヤハウェの像も、つくられたことがあるらしい。最初は、石の柱を立てていた(あとでは禁止されます)。ヴェーバーは、偶像崇拝をしないユダヤ人に、こんな皮肉を言っている。なぜ、ヤハウェの偶像がないのか? それは技術水準が低くて、偶像がつくれなかったから。偶像崇拝がいけないというのは、負け惜しみなんですね。 ともかくイスラエルの民は、先住民の神々(偶像)を拝むのを禁止して、ヤハウェだけを信仰しようとした。それでも、バアルを拝む人びとはあとを絶たなかったので、流血事件も起こっています。たとえば、王妃のイザベラがバアル神を拝んだので、預言者エリヤがバアルの祭司四百五十人を殺害した事件(『列王記上』18章)は有名です。 レビューを確認する
Daisaburo Hashizume and Masachi Osawa