パレスティナ問題に考える歴史的ルサンチマン(上) 一神教を成立させたローマ帝国という都市化のシステム
巨大で苛烈なルサンチマンが一神教を生んだ
これまでにも書いてきたことだが、鳥やビーバーも家をつくり、蟻や蜂も社会的組織的な空間に棲む。人類がこれらと異なるところは、その住まいを不断に高度化し都市化することである。都市化という動態こそが人類の生態であるといってもいい。 しかもその都市化は不可逆的で加速度的で、人間とその集団は、都市化を推し進めると同時に、それに逆行(抵抗)する心性を有する。バスの乗客が進行の逆方向に引っ張られる慣性力のようなものである。僕はこれを「都市化のルサンチマン」と呼んできた。 ニーチェはこの「ルサンチマン」という言葉を「強者に対する弱者の恨み」という意味で使ったが、ここでは「外力としての都市化に対する応力(ストレス)としての感情」とし、必ずしも否定的に扱わない。およそ文化というもの、中でも文学は、都市化(文明)のルサンチマンが大きな源泉となっている。このルサンチマンは、個人にも集団にも生じるもので、必ずしも他者に対するのではなく、内部の歪み(ストレイン)として現れ、集団のそれは民族や宗教などを紐帯として、歴史的に蓄積されるもののようだ。 ローマ帝国という巨大で苛烈な都市化のシステムは、巨大で苛烈なルサンチマンを生んだ。そのルサンチマンが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教の隆盛を生んだというのが僕の仮説である。
底辺の救済・内部の贖罪・周縁の戒律
ヘブライ語を話すユダヤの人々が、シナイ半島というメソポタミアとエジプトという2つの古代文明発祥の地に挟まれた地域に生きてきたことは何かしら暗示的である。「出エジプト」や「バビロン捕囚」といったできごとに示されるように、どちらにも属さない(属せない)流浪の歴史は、人類の文字文明とともに始まったのかもしれない。そしてこの地域に生まれたシナイ文字やフェニキア文字がアルファベットのもととなっているのは何かしら暗示的である。 ユダヤの人々はやがてローマ帝国に支配され強い迫害を受ける。紀元前1世紀ごろユダヤ戦争という抵抗を生み、宗教的な団結を強めるとともに、ディアスポラ(離散)が起きる。ローマ帝国という巨大で苛烈な都市化のシステムの「底辺」では、神の「救済」を求めるユダヤ教の信仰が強化された。 そしてその時期、その底辺に生まれたイエスを救世主とするキリスト教が成立し、ローマ帝国の「内部」において、主として「贖罪」を旨とする信仰として拡大し、ついには国教となるのだ。ローマ市民たちは、巨大で苛烈な都市化のシステムによって欲望を満たすことに疲れ果てたのだろう。都市化のルサンチマンは、社会の上層部にも顕現するものだ。 ローマ帝国の力が消滅に近いほど衰弱した(西ローマ帝国は滅び、東ローマ帝国は弱体化していた)7世紀、帝国の「周縁」において、イスラム教という苛烈な「戒律」の信仰が誕生した。ローマ帝国の権力と規律と価値が崩壊するということは、その地域が精神的な意味で巨大な真空状態となることを意味する。イスラム教の苛烈な戒律は強い求心力となって、その真空地帯に一挙に拡大した。周縁の人々は、ローマ帝国に代わる新たな規範を必要としたのである。 これらの一神教はいずれも、ローマ帝国という巨大で苛烈な都市化のシステムに対するルサンチマンとして誕生(隆盛)した、というのが僕の勝手な解釈である。もちろん宗教者からはそうとうの反論があるだろう。しかし何らかの解釈を試みなければ、いつまでも「日本人には一神教の論理が理解できない」で終わってしまう。 とはいえ本稿の主旨は、その一神教どうしの宗教戦争が中東における紛争の原因だということではない。