余命宣告を受け命がけで彫った93枚の彫刻は1台850万円超のテーブルに…日本人トップ職人50年の研鑽
■独立23年、下請け業からの卒業 2000年代に入ると子どもも大きくなり、子育てにはさほど手がかからなくなった。美知子さんは、ギフト会社の下請け彫刻の担当エリアを徐々に拡大し、最初に受け持った10店舗から、最終的にはストックホルム市内と郊外の全て、約35店舗分を受け持っていた。週に約65時間休みなしで作業にあたることもザラだった。 仕事を受けすぎた理由は「断りきれなかったから」。 一度断っても「ミチコにやってほしい」と食い下がられると、受けないわけにはいかなかった。血尿を出しながら仕事をしていたこともあった。時には救急車を呼んだこともあったという。さすがの美知子さんもこの状況に耐えきれず、下請けの仕事を受けないことを決めた。その時すでに、個人会社設立から23年の月日が経っていた。 2005年ごろ、エステルマルムという高級品店が立ち並ぶエリアに、店舗兼工房を構えた。店に来た顧客から直接の依頼を受けて仕事をするスタイルに変えるためだ。 最初の頃は、小柄な女性、そしてアジア人である美知子さんに対し「本当にあなたが彫れるの?」といった疑いの目を向けられることも少なくはなかった。「証拠としてあなたの仕事のサンプルや作品を見せて」と言われても、製作したものは全て依頼主に納品してしまうため、見せられないことに気がついた。 そこで、IT関連の仕事をしていた夫の協力を得てホームページを作った。これまで手がけてきた作品、特に王室関連の品の画像などを客に見せると、ほとんどの人は納得して依頼してくれるようになった。 王室からも、変わらず定期的に仕事を受けていた。王室内の結婚時には、スヴェンスクト・テン社の品物または作品に、王族の個人の冠、モノグラム、テキスト、日付などを彫る仕事を受けたという。 ■60歳で受けた王室御用達メーカーの依頼 2011年。60歳の時、初めて「スヴェンスクト・テン」から直接依頼が来た。当時、同社はストックホルムの店舗を新しくしたため、そのリニューアルの記念品として「ストックホルム・テーブル」の天板を10枚(実際はアーカイブに入れる分を含めて11枚)製作する仕事だ。スヴェンスクト・テンの社内でこの企画が上がったとき、天板をオリジナルのデザインのとおり正確に彫ることができる腕の良い職人を探すことになった。その際、美知子さんの名前が挙がったそうだ。 それまで常に自分の腕を磨くことを怠らず、長いあいだ実績を積み重ねてきた結果、美知子さんの評判はスヴェンスクト・テンの社員の耳にも着実に届いていたのだ。 依頼の申し入れがあったときの感想をきくと、意外にも「え? なんで私? スヴェンスクト・テンなんて高級すぎて、私には全然縁がない世界だと思うんだけど……。そもそも、今受けている仕事と両立できるか、ちょっとわからないなあ」と、喜びよりも戸惑いの方が強かったそうだ。しかしその後、同社のプロジェクトリーダーとコミュニケーションを重ねるうちに「どれだけ作業に時間をかけてもいい。私たちは最高の仕事に対して、その分はきちんと支払う」という、職人に対して「単なる下請け業者」ではなく、真っ当な敬意を払う同社の方針や態度に美知子さんは心を動かされ、依頼を受けることを決めた。