「好きだったドラマに「?」が生まれたら」作家・柚木麻子が語る、時代を映す鏡としてのドラマ【インタビュー後編】
小説家として活動する傍ら、ドラマファンとして、元脚本家志望者として、そして原作者として、「anan」で10年間にわたりドラマを語り続けてきた柚木麻子さん。この長期連載をついに1冊にまとめた『柚木麻子のドラマななめ読み!』(フィルムアート社)が10月26日に刊行された。
ダ・ヴィンチWebでは刊行を記念して、インタビューを実施。前後編の2本に分けてお届けする。 インタビュー後編では、ドラマと社会の関係に焦点を当ててお話を伺った。 ――『柚木麻子のドラマななめ読み!』では、宮藤官九郎さんと坂元裕二さんについて、対比的に語られていたのが印象的でした。 柚木:私、クドカン(宮藤官九郎さん)のことは大好きなんですよ。本書でも折に触れて書いているように、彼の作品は私の血肉となりすぎていて、どうしたって今後も嫌いになることはできない。 でも、インティマシー・コーディネーターやフェミニストを不寛容な愚か者として描いた『不適切にもほどがある!(ふてほど)』は、受け入れることができなかった。先人たちが身を切る思いで獲得してきた権利を、すべて、茶化してなかったことにするような作品だったから。ただおもしろくなかったとか、とんまな展開が続いたとか、そういう作品を叩く必要はないと私は思います。だけど、『ふてほど』は愛してきたからこそ批判的な姿勢でいなきゃいけないと思って、書きました。対して、坂元裕二さんは一作ごとに別人のように価値観をアップデートさせているんですよね。 ――『東京ラブストーリー』の脚本が坂元さんだと知って、驚く人は多いでしょうね。 柚木:そうなんですよ。『西遊記』を書いた人が『大豆田とわ子と三人の元夫』を書くなんて、宇宙人に人格を乗っ取られたと思わなきゃ整合性がつかない。いったい彼の頭のなかで何が起こり続けているんだろう、と考えた結果、彼は徹底してプロの職人仕事をしているのだと思うようになりました。 自分が書きたいものももちろんあるだろうけれど、それ以上に、時代の要請にあわせて、求められる王道を模索しているんじゃないのかな。だから、異なる世界線を生きているように見える、織田裕二さんと満島ひかりさんを、それぞれ最大限に輝かせるドラマを作ることができる。 ――そのおふたりを並べると、確かに不思議な気持ちになります。でも、主体性のある女性を描くという点においては、『東京ラブストーリー』から一貫している気もしますね。 柚木:『東京ラブストーリー』も、鈴木保奈美さん演じるリカにすべてを持っていかれますからね。その対応力は、若くしてデビューしたゆえの結果でもあると思いますし、おそらく一作ごとに反省も深いんじゃないかと私は考えています。反省して、考えて、次に活かすことができるから、常に時代に添ったアップデートを重ねていくことができる。 今は、簡単に答えを出さない結末を描くことが多いですけど、映画に進出していらして、海外からの評価がさらに高まったら、もっと明確に答えを出すような物語を描いていくかもしれませんね。というのも、やっぱり欧米においては日本ではよくないとされる「言い切る」ことが大事なので。 ――柚木さんは最近、イギリスで講演などもされていますが、その体感から感じることでもあるのでしょうか。 柚木:そうですね。日本だと私は主張が強すぎると思われがちだけど、イギリスだと「勇気がある」という扱いを受けるんです。フェミニズム作品においても、メッセージ性が強すぎないことは日本では誉め言葉になっても、欧米では、いったいどの立場から発言しているのかと問い詰められかねない。どうとでもとれるような表現を、読者が好まないんですね。 ――逃げの姿勢ととられるわけですね。 柚木:もちろん、今の坂元作品も私は好きですけどね。ただ、たとえばセクシャルマイノリティを描くにしても、映画『怪物』みたいに死を予感させるラストよりも、社会的な権利をしっかりと得た彼らが、おじいさんになってもカップルとして健やかに幸せに長生きしていく、みたいな物語もいずれ描いてくれるんじゃないかなあ、と。それを私は、できれば地上波で観たいと思うんですよね。 Netflixのほうが予算もあるだろうし、おもしろい作品は作れると思うけど、比較的開かれている、地上波でこそそういう作品は流れてほしいなと。