青山学院大→SGHの近藤幸太郎と佐藤一世が駅伝を語る。第100回箱根駅伝は「駒澤につかれたくなかったので1km2分40秒で入った」「突っ込んで失速するんじゃないかと」
インフルエンザ、盲腸からの4区区間賞
――あまり記憶がないほど、全力だったということですね。佐藤選手は箱根駅伝を4度走り、優勝2回、特に前回の箱根では4区を走って優勝を決定づけ、箱根では初めての区間賞も獲得しました。 佐藤 やっぱり、大学スポーツって4年生が中心なんですよ。箱根は1年生のときから走らせてもらって、どのレースも優勝に貢献したいという思いは変わりませんでしたが、自分たちが4年生になったときには絶対に勝ちたいと、同級生と話していました。 ――出雲駅伝、全日本では苦戦を強いられ、駒大の三冠が有力な情勢でした。 佐藤 出雲、全日本と駒澤の圧勝でしたからね。箱根では往路で主導権を握りたいと考えていたら、3区で太田蒼生(現・4年)が駒澤を抜いてトップに立って、先頭でタスキを持ってきてくれたんです。 ――佐藤選手、かなり突っ込んで入ったのを記憶してます。 佐藤 実は12月にインフルエンザにかかり、治ったと思ったら中旬に今度は盲腸にもかかってしまって。 近藤 それでよく走れたよね。 佐藤 奇跡ですよ(笑)。正直、練習が満足に積めていたとは言えない状態でしたが、駒澤の山川君(拓馬、現・3年)には後ろにはつかれたくなかったので、最初の1kmを2分40秒くらいで入りました。 近藤 あれだけ突っ込んで失速するんじゃないかって心配してたよ。 佐藤 最後までなんとか粘れました。僕としては、流れを引き寄せて5区にタスキを渡せたので、4年生としての責任を果たせたかと思いますし、優勝できたのは本当にうれしかったです。
都大路1区がターニングポイント
――12月の駅伝シーズン、箱根駅伝の前には、毎年、京都で行われる全国高校駅伝があります。SGホールディングスは全国高校駅伝に特別協賛していますが、お二人の高校時代の駅伝への思いは、どんなものでしたか。 佐藤 僕は八千代松陰高(千葉)時代、2年生のときに「花の1区」を走らせてもらって、区間2位でした。 近藤 2年生で2位って、すごいな。 佐藤 区間一ケタでまとめられたらいいなと思っていたんですが、自分でもびっくりしたんですよ。そのときにレース前の準備の大切さを学ばせてもらって、それが高3のときに同じ1区を走っての区間賞につながったと思います。高校生活のなかでも1、2を争う印象に残っているレースですし、自分のキャリアのターニングポイントになった大会でした。 ――近藤選手はどうでしたか。 近藤 僕がいた学校は、部員が7人しかいなくて、誰かが病気になったり、故障したら出られないギリギリの状態でした。だから、一世とは大違いで、高校駅伝の1区で区間賞を取った一世が青学に入ってきたときは、もう本当にスーパースターでした。 佐藤 やめてくださいよ(笑)。