「俺、マタギになる」 31歳、4回転職した男性が「秋田に移住」したワケーー何度も挫折をくり返した末に、「マタギ」という生き方にたどり着いた
淡々とした語り口の中にも、一人前のマタギをめざす岡本さんの迷いのない熱量が伝わってくる。だが、マタギという生き方を見つけるまでの20代の数年間は、岡本さんにとって挫折感にまみれて迷走を続ける日々だった。 ■「マタギ」という生き方にたどり着くまで 振り返ると、迷走の始まりは大学4年の就活の失敗だったかもしれない。 将来像が描けず、就活に完全に乗り遅れた。4回生の年末ぎりぎりに内定をくれたのは東京の保険会社。仕事は電話営業だった。「これくらいならやれる」と思って入社したものの結果を出せない。挫折感に耐えきれず、1年半で退職する。
地元の静岡に帰って再就職したのも保険会社。ここも、妻との結婚後、上京して起業するために退職。だが起業はあえなく失敗し、食いつなぐために日払いの個室ビデオ店の店員に。 客が汚した個室を掃除しながら、心の支えは中学時代から心酔している北方謙三の小説だった。逆境の中でも自分を貫く強い男たちの生きざまが、折れそうになる岡本さんの心を鼓舞する。 じり貧を脱出するために、岡本さんは一念発起。当時、トレンドになりつつあったITエンジニアをめざして、プログラミングのスクールに通い始める。
受講期間は半年。学費30万円は用意できず、ローンを組んだ。がちがちの文系でITスキルはゼロ。ぎりぎりの成績だったが、卒業後はシステムエンジニアリングサービス企業に採用が決まり、27歳でエンジニアデビュー。ようやく安定した人生のレールに乗れたと思った。 しかし……。派遣先のクライアントに常駐し、山のようにある仕事が終わらず、ノルマに追われながら毎晩終電で帰る日々が続くうちに、再び岡本さんの心は曇り出していく。都会の無機質な生活に息苦しさを感じるようになり、週末のたびに山に向かった。
そんな時期に偶然、書店で見つけたのが『マタギに学ぶ登山技術』という本だった。 山の脅威も恩恵も知り尽くした秋田や青森のマタギたちの山歩きの技術からマタギという生き方、精神性まで、すべてに岡本さんは衝撃を受けた。 山で暮らしの糧を得て生きている人々がいる。一気に読み終えたあと、「自分もこういうふうに生きていきたい」と強く思った。生きることと日々の営みが直結している確かな感覚が欲しい。 悶々と過ごした年月も自問自答の日々も一括清算、岡本さんは人生を賭ける決意した。