最悪の原発事故から11年、廃炉を担う若手技術者たちの苦闘 #知り続ける
ただし、一口に調査と言っても、必要な物を業者に発注し、試験を行うためのメンバーを手配し、試験を実施し、その結果を受けて再び検討を重ね……ということを繰り返す。こうした検証だけで数年が過ぎた。 だが、ある程度実用化の見込みが立ってきた2019年、玉井のプロジェクトは突如中断となった。 「『核燃料の取り出し』の開始にメドが立ったので、そちらの作業を優先して考えると。自分たちが取り組んできた方法では時間がかかりそうだということでした。加えて先に『プール燃料取り出し』を始められる見通しが立ったのです」 この年の2月、東芝の別のチームは2号機内部にロボットアームを入れ、数百グラムの小石状のデブリを持ち上げることに成功した。同じ会社の廃炉事業でもうまく進められるチームもあれば、現場の状況によって開発計画が見直されるものもある。玉井は後者だった。
「一緒に作業してくれた方々に申し訳ない気持ちです。今まで自分が取り組んできたものが現場で採用されたことがないので、早くそういう経験をしてみたいと思っています」 約4年かけたプロジェクトが中断したことを玉井は無念そうな表情で語る。
入社直前に原発事故
玉井は2011年4月入社で、震災当日は入社を目前に控えた大学生だった。原発事故の様子はテレビで見ていた。 「就職活動の時には『新しい発電所をつくる』という気持ちでした。それが事故で状況が一変してしまった。会社も自分もどうなるのかと不安でしたが、もう3月だったので入社する以外になかったです」 最初の2年間は原子炉周辺機器を設計する部署にて浜岡原発関連の業務に従事し、5年目から福島第一原発に関わることになった。放射線が懸念される現場も、とくに抵抗感はなかったという。 「現場では被ばく線量に対する時間のルールがあるので、それを守らないといけません。逆に言うとルールを守れば健康への問題はないということです。例えば、私は3号機の原子炉建屋上部に(放射性線量を低減させるために)設置した遮へい体のエリアにも行ったことがありますが、それもルールの範囲内でのことだったので不安に感じることはなかったです」 放射線へのこうした感覚は他の技術者でも共通していた。