忠臣蔵がなぜ300年近くも愛されてきたのか?文楽の「通し」を観るとよくわかるその理由
かつて「忠臣蔵」は年の瀬の風物詩だった。赤穂浪士・四十七士が主君の仇を討つために吉良上野介の屋敷に討ち入ったという、江戸時代に実際に起こった事件を題材にしたストーリーは、映画やテレビなどで目にすることも多かった。この物語、実は文楽が原点。大阪の国立文楽劇場ではこの11月、『仮名手本忠臣蔵』の通し公演が開催される。これは見逃せない! 【写真】大石内蔵助以下、赤穂四十七義士の墓所は泉岳寺(東京都港区高輪)にある。 文=福持名保美 ■ 名作中の名作『仮名手本忠臣蔵』こそ、一度「通し」で見ておくべき 歌舞伎もそうだが文楽でも、公演チラシを見ると、いくつもの演目名が載っている。 2024年12月の東京公演は三部制で、第二部は『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』 熊谷桜の段/熊谷陣屋の段と『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』阿古屋琴責(あこやことぜめ)の段。このように見せ場の段(パート)を抜粋して取り合わせるのを「見取り(みどり)」という。それに対してひとつの作品を一日かけて通して演じるのが「通し(とおし)」だ。 観どころ聴きどころが詰まった「見取り」も楽しいが、ストーリーをじっくり味わえる「通し」には戯曲そのものの面白さに触れられるよさがある。「見取り」でよく演じられる人気演目こそ、一度「通し」で見ておくと、題材となった事件や登場人物のバックグラウンドなどがわかり、次に「見取り」で観たときにいっそう楽しくなるはずだ。 1746年からの3年間に、大坂・竹本座にて人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)として立て続けに初演された『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』。いずれもまる一日かけて演じられる大作で、人形浄瑠璃にとどまらず歌舞伎でも人気を博し、「三大名作」として現在でも上演回数の多い演目となっている。 なかでも『仮名手本忠臣蔵』は名作中の名作。創られて以来約300年、途絶えることなく上演されてきた絶対的人気演目なのだ。何度も映画化、ドラマ化もされ、昭和から平成のある時期にかけては、年末といえば「忠臣蔵」だった。20世紀を代表する振付家ベジャールによりなんとバレエにまでなっている。赤穂浪士(あこうろうし)たちが吉良(きら)邸に討ち入ったのが元禄15年12月14日(旧暦)。それにちなみ東京・泉岳寺では今も毎年12月14日に義士祭が催される。 この実際にあった「赤穂浪士事件」を題材に、赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心とした遺臣四十七士が、主君・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇である吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷に討ち入り、その首を取るまでの艱難辛苦を全十一段で描いたのが『仮名手本忠臣蔵』。 四十七士にちなんで、事件の47年後に初演し大ヒット。当時は事件そのままでの上演が許されなかったため舞台を『太平記』の世界に移し、大石は大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、浅野は塩谷判官(えんやはんがん)、吉良は高師直(こうのもろなお)など実在の人物をもじったものに変えている。 現代の私たちが見ても飽きることがない、緩急メリハリの効いた緊密な構成。忠義という武士の論理と、それにより押しひしがれる色恋や親子の愛など情の世界が絡み合い、厚みのあるドラマが繰り広げられる。