忠臣蔵がなぜ300年近くも愛されてきたのか?文楽の「通し」を観るとよくわかるその理由
■ 赤穂浪士事件を題材に、リアルな演出や人間模様で大人気に 赤穂浪士事件を題材にした歌舞伎や浄瑠璃、浮世草子などはそれまでもさまざまつくられてきたが、『仮名手本忠臣蔵』があまりによくできているため、現在に至るまで実際の事件のことも「忠臣蔵」と呼ぶようになった。上演回数も圧倒的に多く、不入りの際の切り札として使われてきた、いわばテッパン演目だ。 文楽や歌舞伎といえば、主筋の首の代わりに自分の子など他の者の首を差し出す「偽首(にせくび 贋首とも)」など現代の私たちには受け入れ難い事態や、お姫さまに狐がのりうつって宙を飛ぶなどのおとぎ話のような設定がよく出てくるが、『仮名手本忠臣蔵』にはそれがない。 隈取(くまどり)の首(かしら)も出てこないし、衣裳も写実的。御殿で傷害事件を起こした塩谷判官は切腹となり、領地は没収(会社でいうなら倒産)。主君の無念を果たそうという者もいれば、それよりお家の資産を山分けして新しい人生をという声も上がったり、そんな騒動のさなかに逢い引きしていた恋人たち(文楽の常で女性の方が積極的)が騒動の最中の城内に戻れず、女の実家に身を寄せたり、と、リアルな人間模様が繰り広げられる。 竹本座での初演後すぐに歌舞伎にも移されこちらも大人気となった。 人形浄瑠璃に敬意を払い、大序(だいじょ)「鶴が岡兜改め(つるがおかかぶとあらため)の段」冒頭では、舞台上の役者たちはみんな下を向いて人形のように動かず、名前を呼ばれて初めて息を吹き返したように動き始めるという演出になっている。 また、五段目に登場する斧定九郎(おのさだくろう)を元々の山賊姿から、白塗り・黒紋付の着流しという、悪くてかっこいい色悪(いろあく)姿にしたのは歌舞伎役者の工夫で、それが人形浄瑠璃に取り入れられるという逆輸入パターンもある。
■ 通しならではの見どころ満載。東京から気軽に日帰りも可能 2016年東京・国立劇場小劇場(現在休場中)での『仮名手本忠臣蔵』通し公演は二部制、第一部は10時半開演で大序から六段目「早野勘平腹切(はやのかんぺいはらきり)の段」まで一気に、第二部は七段目「祇園一力茶屋(ぎおんいちりきぢゃや)の段」から十一段目「花水橋引揚(はなみずばしひきあげ)の段」までで、終演が21時半。まさに丸一日かけての全段通しだった。演者は大変、観る側もへとへと。ある意味「修行」だった、という声もよく聞いた。 今回、大阪・国立文楽劇場11月公演での「通し」は、11時開演の第1部が大序から四段目「城明渡しの段」まで、第2部は五段目「山崎街道出合いの段」から七段目「祇園一力茶屋の段」までで、20時半終演予定。東京からの日帰りも可能な上演時間となっている。歌舞伎などでよく上演されるエピソードが押さえられており、第2部の冒頭には『靱猿(うつぼざる)』という狂言を元にした和める演目も配され、気軽に観にいける。 配役表を見るとわかるように、人形遣いはひとつの役を通して遣う。このたび文化功労者に選ばれた吉田和生(よしだかずお)は塩谷判官を、桐竹勘十郎(きりたけかんじゅうろう)は早野勘平を、吉田玉男(よしだたまお)は大星由良助を。四段目で敵討の決意をかためた由良助は、それを腹に持って七段目の祇園一力茶屋での遊蕩三昧を演じるのだが、その度量の大きい人間像が、ひとりが通して人形を遣うことでより伝わってくる。 早野勘平も、三段目の美しい若侍が五段目では落ちぶれて猟師の姿となり、六段目で切腹するに至る過程をひとりの人間として見せるのが、文楽の通しのよさなのである。 『仮名手本忠臣蔵』ならでは特別な演出も面白い。 四段目「塩谷判官切腹の段」は「通さん場」といわれ、客席への出入りが禁じられてきたが、今回も途中退出・入場ともにご遠慮を。厳粛な空気のなか、判官の最期を固唾を呑んで見守る。着信音が鳴ったら台無しなので、スマートフォンなどの電源を切るのをお忘れなく。 七段目『祇園一力茶屋の段』では太夫に注目を。文楽では通常、舞台上手(客席から見て右)に設えられた出語り床(でがたりゆか)でひとりの太夫がすべての登場人物を語り分けるのだが、七段目はひとり一役担当となり、計12人もの太夫が登場する。 しかもそのうち、寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)役の太夫は、人形・平右衛門登場に合わせて舞台の下手(客席から見て左)に出てきて、無本で語るのだ。詞章の書かれた床本(ゆかほん)も、それを置くための漆塗りの見台(けんだい)もなし。上手の太夫との緊迫した掛け合いが聴きどころ。今回は竹本織太夫(たけもとおりたゆう)が平右衛門を勤める。