「読む幸福」とは、まさにこのこと…!芥川賞作家・井戸川射子の「圧倒的な才能」を読む
『無形』
こんな魅力的な作品を書かれてきた井戸川さんの最新作かつ初の長編作品が、『無形』だ。立ち退き勧告が進む海辺の団地に暮らす人、そこに集う人たち。これまでの小説と同じく、一文一文の繊細な表現からたちまち情景が思い浮かぶ。 一方で、句読点の位置や語順の独特さは、本作ならではだろう。普通なら、句点で切るであろう箇所が、読点で繋がれている。それなのに、むしろ不思議なリズムの良ささえ感じる。話す時というよりも、頭の中で何かを考える時の言葉の使い方に似ているような気もする。 そして、子ども、若者、老人と主要な登場人物が多いのもこれまでの作品と異なる。明確に、語り手が入れ代わり立ち代わり、それぞれの異なる視点で世界を見つめ、こちらに語りかけてくる。 病気でほぼ寝たきりのカン。カンの介護をしながらベビーシッターとして働くハンナ。親が失踪しふたりで働きながら暮らすウルミとオオハル。夫に先立たれたフサ。団地に住むマオと、マオのことが大好きなリユリ。団地の近所に住む兄弟・タミキとタイラ。それぞれが違う痛みを持ちながら、暮らしている。 「自分が経験していないことは分からないとすれば、口を挟む資格もないとすれば、誰と会話ができるだろう」。ウルミは思う。 その通りだろう。けれど、ウルミ本人も躊躇したように、時に、どうやって分け合えば良いのか、どうやって触れたら良いのか分からない痛みがある。物語の中で起こる細やかな葛藤は、現実世界を生きる私にも、おせっかいと戸惑いで混ぜこぜになった様々なシーンを思い出させる。 団地は、近い未来、無くなるであろう場所として描かれる。物体として共有するものが無くなったとき、彼らに残るのは思い出だけ。思い出だって、人の記憶が消えていけば、永遠ではない。「無形」のものは、どうやって大切にすれば良いのだろう。 井戸川さんの作品は、「大きな事件は起きないけれど」と枕詞をつけて紹介されていることがある。けれど、過去作も含め本作を読むと、誰かが生きること、その中で少しでも心が揺れることは大きなことなのだと感じる。「無形」のものを、どう言葉にして、少しでも見つめることができるのか、教えてくれる。 私はこんなに毎日を覚えているだろうか、毎日目を凝らして生きているだろうか。一瞬で忘れてしまいそうな瞬間が、作品の中で、言葉を与えられている。 井戸川さんの作品を読むときは、一文ずつ、ゆっくりと、たまに声に出しながら読むのが良い。そして、読み終わったら、自分の目に入る人を、木を、草を、水たまりを、カーテンを、じっくりと観察してみたくなる。 井戸川射子(いどがわ・いこ) 1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。2019 年、同詩集にて第24回中原中也賞を受賞。2021年に小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞を、2023年に『この世の喜びよ』で第168回芥川龍之介賞を受賞。他の著作として、詩集に『遠景』、小説に『共に明るい』『無形』がある。
白鳥 菜都(ライター)