「読む幸福」とは、まさにこのこと…!芥川賞作家・井戸川射子の「圧倒的な才能」を読む
『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞を、『この世の喜びよ』で芥川賞を受賞した作家・井戸川射子。短篇集『共に明るい』、そして最新長篇『無形』をあわせた全4冊を振り返りながら、その唯一無二の魅力を、ライター・白鳥菜都さんにご紹介いただきました。
『ここはとても速い川』
2021年のある日、本屋を歩いていると、井戸川射子という名前が目に入ってきた。名前が素敵な作家さんだなというのが第一印象だった。あらすじも読まずに『ここはとても速い川』の単行本をカゴに入れた。 落ち着いた装丁で、派手さはない。けれど、読み始めれば「ああ、言葉ってこんな使い方があるのか」と驚かされる。文章を読むことを思いきり楽しみたいとき、私は井戸川さんの本を開くようになった。 改行の少ない、字が目一杯並んだ小説。一般的には読みにくいと言われるのかもしれない。けれど、このずらっと並んだ文章を追いかけているうちに、主人公・集の視線と自分がリンクしてくる感覚になる。楽しい、不思議、面白い、嫌だ、怖い、寂しい。本当に生きている人間が一瞬一瞬気持ちが変わるように、集の心が継ぎ目なく流れ込んでくる。 児童養護施設に暮らす小学5年生の集は、幼い頃に両親と離れ、いま会える家族は入院中の祖母だけ。同じ施設に暮らす年下のひじりとは仲良し。ふたりで一緒に、淀川の亀を見に行ったり、近所のアパートに暮らす大学生・モツモツの部屋に遊びに行ったり。そんな日々のことを、集はそっけなく、関西弁で語る。 「浴衣は紺色が多いから人は、出てる肌の部分しか光らへん」。施設のみんなで出かけたお祭りの中、集はこんなことを考える。淡々とした集の一言ずつに、世界はこんなにも発見に満ち溢れているのかと驚く。 そして、ひじりとのやりとりからは、素直で思いやりのあるふたりの関係性に、羨ましさを覚える。モツモツのアパートの敷地内に生えている花を、勝手に別の場所に植え替えたいと言う集。ひじりは手間やリスクを考え最初こそ反対するものの、「でも移動が、集君にとって大事なんやもんね?」と集の考えに寄り添おうとする。 平和な日々が描かれる一方、集は時折、大人に対する鋭いツッコミをしてくるので安心できない。例えば、施設の先生に質問をした際に質問で返された集は、「よく先生たちがしてくるわ。子どもの心を少しでも探っていこうという質問返しやわ」と心の内で思う。「誰かの稲を私は背負ってあげたい」とそれっぽい標語が先生たちの事務所前に貼られているのを見て、「稲だけでは足らんやろう」と思う。 一般論やきれいごとで濁そうとする大人たちと比べ、目の前の相手をよく見つめる子どもたちの会話にはっとさせられる。