「読む幸福」とは、まさにこのこと…!芥川賞作家・井戸川射子の「圧倒的な才能」を読む
『共に明るい』
短編集『共に明るい』には5つの短編が収録されている。以前、井戸川さんが「場所」を起点に作品を考えることがあると言っていたのを見たことがある。『共に明るい』に収録されている作品は、短編ということもあり、それぞれほとんど同じ場所の中で物語が展開していく。だからこそ、登場人物の目に映るもの、頭の中を繊細に描く井戸川さんの文章の魅力が際立つ。 特に私が気に入っている作品が二つある。一つは表題作「共に明るい」。早朝のバス、少ない乗客の中、唐突に一人の女性が自分の過去を語り始める。 気まずそうに、迷惑そうにする他の乗客たちはみな「誰か」という代名詞で呼ばれる。だから、どの乗客の感情を表現しているのかわからない箇所がところどころある。けれど、実際にバスに乗っている時、自分以外の乗客が何を考えているかなんてわからないのだから、むしろリアリティがある。同じバスに乗った気持ちになって読んでいると緊張してくる。 バスという狭い場所で展開するからといって、女性の一人語りがほとんどというわけではない。「座席のすみずみまでとはいかないが、くい込むように陽が当たりみんな、何て明るい」。こんな風に、豊かにバスの中を想像できる書き方がされているのだ。 私が好きなもう一つの作品は「野鳥園」だ。まだ幼い少年と、子どもを産んで疲れたと語る女性が、野鳥園のベンチに座って語り合う。 作中、少年と女性はほとんど交互に語る。だから、互いの考え方の違いがよく浮き上がる。その一方で、少年と女性はまとめて「彼ら」と呼ばれ、時々同じ方向を見つめたり、同じ行動を取ったりもする。年齢も性別も暮らしも違う「彼ら」が、初めから違いがあることを分かりながら会話する時の微妙な空気感が、生々しく、心地よい。 少年と女性の会話の間に、野鳥園やその向こうにある海の様子が描かれる。行ったこともない野鳥園の様子が、だんだんと色濃く見えてくる。草の質感も、海面を揺らす風の強さも。ここで描かれているのはほんの数十分のことだろう。それでも人は日々、これだけの情報に囲まれながら生きているのかと気付かされる。 『共に明るい』に掲載されている作品たちを読むと、言葉は、こんなにも物事を伝えてしまうのかと面白い。