「弁護士会に忖度か」大手弁護士事務所めぐる高裁の「不可解判決」
司法書士の仕事は「簡単」かつ「困難」の矛盾
高裁の判決文には、一般の人から見ても中立性に欠いているのではないかと思える点がいくつかある。 高裁は、司法書士事務所に支払われた金銭について、大部分が案件の紹介料だったと認定している。その理由として、司法書士による過払金の引き直し計算や訴状の作成は〈定型的な事務作業を行うことで作成可能なもの〉であり、〈対価を支払う価値のある成果物又は役務ではないとはいえないものの、それに見合う対価がさほど高額になるとは考え難い〉とし、19万8000円の大部分は案件紹介に対するものだった判断した。 ところが、同じ判決文の中で、真逆の考えも示されている。高裁は、司法書士事務所が140万円以上の案件をベリーベストに紹介することは依頼人の利益にならない、という判断をする理由として、次のように述べている。 〈過払金返還請求事件のうちでも、訴訟物ないし紛争の目的の価額が高額の事件については、取引期間が相当程度長くなり、取引当初の時期の取引履歴が保管されていなかったり、取引を中断している期間があったりして、困難な法律問題を含む事件が多くなることが一般的に想定される〉 つまり一方では、司法書士事務所の仕事を「定型的な事務作業で済む簡単な仕事」と言い放っておきながら、ベリーベストに不利な裁定をする場面では、「作業量が多く困難な法律問題を含む仕事である」と述べるというダブルスタンダードになっているのだ。 裁判所が、日弁連や弁護士会の「顔を立てる」ために、無理やりに理屈をつくったため、そうした矛盾をはらむ判決文になったのではないかと思われても仕方ない。
冤罪が生まれるのは裁判官の目が“節穴”だから
丸山弁護士は、裁判所による問題のある裁定を放置すると、「不条理が罷り通る社会になる」と警告する。 「死刑判決が冤罪であることが明らかになった袴田事件では『警察・検察の証拠捏造』を批判する声はあります。しかしそもそも、判決を出したのは、当時の裁判所ではなかったでしょうか。裁判官は推定無罪の原則をもって、厳しく証拠を見るべきであった。ところが裁判所は、検察側の出してくる捏造された証拠を“鵜呑み”にして、死刑判決を書いてしまったのです。免田事件など、裁判所が冤罪を生んだ例は数多くあります。 裁判所、裁判官の目は“節穴”だったわけで、本来、最も批判されるべきは冤罪を書いた裁判官なのです。 日産元会長のカルロス・ゴーン氏が逃亡したケースでも、責任は裁判官にあります。あのとき、検察と日産側は、ゴーンの保釈に反対していた。保釈後も、日産側は独自にゴーンの逃亡を防ぐために監視をしていたのですが、弁護側からの抗議を受けて、裁判官が監視を辞めるよう指示した。逃亡はその直後です。この逃亡の責任は裁判官にありますが、裁判所批判はほとんどなく、見過ごされています。 裁判官というのは検察や警察に比べて、責任の所在がわかりにくく、顔が見えない存在です。だから、あまり批判の声が上がりにくく、大失態を犯したとしても、知らんぷりをしていられるのです。 しかし、問題のある裁判官を放置していると、前述のような悲劇的な冤罪が生まれやすくなるなど、不合理な判決が蔓延する世の中になってしまうのです」 ベリーベストは高裁の判断を不服として、この9月に最高裁に上告した。司法の在り方を問う裁判として注目に値する。