孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったもの
宮﨑監督と自分の共通する点は
だから、主題歌のオファーがあった時は驚愕した。 「なんで自分なんだろう、とは思いましたね。あとになって、宮﨑さんがラジオで『パプリカ』を聴いて、感じるものがあったと。ジブリは保育園を持っていて、そこの子どもたちが歌ったり踊ったりしているのに合わせて、宮﨑さんも口ずさんでいたらしく、それを見たプロデューサーの鈴木(敏夫)さんが、なんでその曲知ってるんですかといって、宮﨑さんと話したのがきっかけになったと聞きました」 オファーから最初の2年は、具体的な曲作りの作業には入らず、絵コンテと向き合う日が続いた。 「これが宮﨑監督の新しい映画の絵コンテなんだということを噛み締めながら読み進めていくわけですけれど、読み終わって最初の素直な感想として、象牙の塔だと感じたんですね。もちろん非常に素晴らしかったのですが、今までの宮﨑さんの映画とは全然違うものになっている。どういうスタンスでこの映画に向き合っていくべきなのか、計りかねる部分がありました。自分はポップスの人間ですが、果たしてポップスでいいんだろうか、そういう空気を感じる絵コンテだったので、非常に悩みました」 「くり返し読むうちに、主人公の眞人(まひと)は自分とよく似た人間じゃないかと感じ始めたんですよね。ずっとブスッとしているし、笑顔になる瞬間も一度もない。飯もまずそうに食べる。ひねくれてるじゃないですか。そういう姿に、昔の自分を思い出したし、主人公が宮﨑さんの投影でもあることを考え合わせると、宮﨑さんと自分の共通点がそこ(眞人)にあるのかなというふうに、だんだんと紐解いていけるようになった。この映画に曲をつけるのであれば、宮﨑さんと私という関係性を軸に、『君たちはどう生きるか』というタイトルに対し、私はこう生きてきました、これからこう生きていきます、というニュアンスを落とし込むべきではないかと考えるようになりました」
孤独と熱意によって、ものを作る人間になった
その後も何度か、宮﨑のアトリエを訪れて雑談をしたり、スタジオの試写室でラッシュ(確認用のムービーデータ)を見たりした。CDプレーヤーでしか音楽を聴かないという宮﨑のために、制作したデモ曲をCDに焼いて持っていった。その時の心情を「死ぬかと思った」と振り返る。 「宮﨑さんが曲を聴くのを、目の前で見ていたんです。自分としては死刑台にのぼるような気持ちでした。そうしたら、涙を流してくれていて。その瞬間に、これでよかったんだと思いました。その瞬間が、宮﨑さんと対峙した5年間で一番印象に残っていて、あの光景を心の中に抱えながら、この先の人生を生きていくんだろうと思います」